「ところで八神ちゃん、今の記録どうなってる？」
「全部きちんと録画してあります」
「け……」
「記録ですから、消しません」

　フジコは八神をジト目で睨み、八神は涼しく返す。

「八神ちゃんあなたロミオとジュリエット知ってるわよね。演じてみたらどう？」
「課題作は……軽く勉強して有ります。一人芝居でよろしければ」

　ハンドカメラを尾鎌に預け、さっと上着を脱ぎ舞台に立つ。
　今までの騒ぎが嘘のように静まり、それぞれ客席に戻る。
　野沢とボスコフは板間で正座をさせられて。
　パン。

　軽く。柔らかく、少年のように、元気に動く。
　ある一点を見つめ静止。
　目は大きく見開き、唇は小刻みに震える。
　椅子や机ににぶつかっても気づかないほど、その一点を凝視し、近づいていく。
　ゆっくり、ゆっくり目線と体を動かし、隣にいる誰かにそっと触れる。
　
「踊って下さいますか」

　それから優しく愛おしむようにステップを踏む。
　ステップを終えると、自分の体を抱きしめ、苦しげに呻く。

「意味の無い名前を捨て、貴女の全てを受け止めろと？　それなら俺は、貴女の為だけの存在だと言おう」

　動作が大きくなり、声も少しずつ低く、大きくなっていく。

「ただ貴女と生きるために生まれたのだジュリエット！」

　パン。
　一瞬の芝居だった。音も少ない芝居だった。

（かっこいい、な）

　姫神や普堂をはじめとし、女生徒はうっとりと八神を見つめる。
　フジコも同じようにうっとりとして言った。　

「ああ、素敵ね。こんな男性に想われてみたいわ」

　八神は静かに会釈し、尾鎌からカメラを受け取った。

「それにしてもまるで誰かに恋をしているようね」

　ニヤリとフジコ先生は笑い、八神の反応を待つ。

「恐縮です」

　フジコ先生が残念とつぶやいたのはカメラだけが知っていた。

「さて、次が最後かしら」

　大山田と弘明寺が軽く体をほぐしてから前に出る。

「ぐみょーじ、よろしく」

　と大山田が手を出すと、弘明寺は一瞬悩んでから手を取った。

「大山田さん、だよね。よろしく」
（あれ、こんな顔だっけ）

　どことなくギクシャクしながら、位置につく。
　弘明寺ことジュリエットは舞台中央。
　大山田ことロミオは下手。
　開演の合図が鳴る。

「ロミオ、あなただけを、あなただけを思って、主にお祈りしよう。主よお願いです、私を見捨てないで。ロミオ、ロミオ、勇気を下さい」

　恐怖に震えながらジュリエットが毒を煽る。パタリ。人形が主を失ったかのように倒れた。
　程なくして、ロミオが下手から中央に向かって走り寄る。

「月よもっと明かりをくれ。ジュリエット、ジュリエット、どこに居るんだ」

　息のないジュリエットを見つけたロミオは体操着の上を脱いで、ジュリエットにかけた。
　ロミオはブラを残して上半身を露出させている。

「ジュリエットォオオ！！」

　ジュリエットを抱き寄せ、天を仰ぎ、遠吠えするように泣き叫ぶ。
　感動的で感傷的。
　悲劇的演技をしているのにも関わらず、

（けしからん！　いいおっぱいだ）

　生徒の視線は大山田の胸に集中する。
　大きく形のいい胸がすぐそこにあるのだ。
　男女ともに人間であれば無視できるはずがない。

「好きだぜ」

　優しく囁く。
　それからジュリエットの耳に、頬に、唇に、軽くキスを落とし、ロミオも毒を飲み干した。
　ロミオはジュリエットに寄り添うようにして、眠りについた。

（キスした！！）

　響は興奮で身をよじらせ、実に真剣な彼らを置いて周りのテンションは上がっていく。　　
　しばらくしてジュリエットは目を覚ます。飛び起きて、隣のロミオの尋常ではない様子に声を上げる。

「ロミオ！　ロミオ！　ああなんてこと！」

　ロミオの体を揺さぶり、表面は嘆き悲しむ。
　その内心は衝撃に打ちのめされている。

（なんで脱いでんのよ……ってな、なんなのよこの腹筋！？　素人じゃない……？）

　混乱しおもわずアドリブでロミオに心臓マッサージを施すジュリエット。

「大丈夫、助けるわ！」

　ロミオの胸に手を当て……筋肉の上にある胸に触れる。
　というか揉みしだく。
　胸の大きさに完全敗北を悟る。
　ふわふわ、やわやわ、もっちり、ぷにぷに。
　たまらないじゃないか！！　
　己の肉体に自信があった分、その衝撃は計り知れないものだった。
　
（ん？　んん？　なんでコイツずっと胸揉んでるんだろう。こ……こいつもしかして！）

　心中はともかく、ロミオ、ロミオ！　と悲しみに暮れ、様々な悲劇は幕を閉じた。
　終わった瞬間大山田はむくりと起き上がり、服を着る。
　弘明寺と大山田は見つめ合う。

（寝子島にはこんな子がいるのね。お、おそろしい）
（こいつ、百合系植物？）

　互いにささやかな不信感を抱きながらも、ありがとうと挨拶を交わす。

（胸、思いっきり揉んでた……）

　音海はちらりと周りを伺う。
　しかしその事実に気がついているのはどうやら自分だけらしく、頬を真っ赤に染めてため息をついて俯いた。
　フジコ先生は違う意味でため息をつく。
　
「その胸アタシが欲しいくらいよ……じゃなくて、胸をもんではいけません……でもなくて！」

　どうやら、まだラグビーの振動が頭に残っているらしい。

「頭がまだ痛いわ」

　ギロリと足を崩しかけている二人を睨みつける。
　黙ってボスコフと野沢は姿勢を正した。
　再びフジコ先生はため息をつく。

「おつかれさま。細かい指摘は次回記録ビデオを見ながらしていくわ。なにかどうしても聞きたいことがあれば今どうぞ。
そう、ないの。じゃあ次回に備えて反省会を各自しておいてね」
「はい」

　八神はハンドカメラを停止し、他のカメラも回収しに行く。

「あら、時間が余ってるじゃない。じゃあ筋トレ、いつもより時間が少なかったから、もう一回しましょうね」

　にっこり。本日最大の笑顔。

「勘弁してくれよ」
「今日は本当にハードだね？」
「……嘘だろ？」　
「余裕だな」

　上から追分、恵御納、逆巻、大山田。

（……次の体育、大丈夫かな）

　いつも前向きな普堂の顔もさっと青ざめる。

「そのあとのマッサージは任せてね」
　
　尾鎌はというと、完全にフジコ先生と息を合わせている。
　後木は例に漏れず、既に逃走。
　野沢、ボスコフを含め、幾人かが彼女に続こうとするが、許されるはずもなく。

「さぁ、しっかり体を作っていきましょうね」

　しびれた足を引きずり、ボコボコにしごかれることとなった。
　その後、放課後掃除（＋説教という名のしごき）もしっかりさせられたそうな。