メリーさんの素敵な世界、なの｜リアクション

メリーさんの素敵な世界、なの

　キャットロードに志波武道の姿があった。人波に揉まれ、半ば溺れるような姿で流されていた。
　白いランニングシャツに黒いサマージャケットを合わせた姿が若々しい。傍目に爽やかな印象を与えた。
「あー、ダメだぁ。暑い、暑すぎー」
　猫背で両腕をだらりと下げていた。服装とは真逆の行動を続けている。
　彷徨う目が水色の店舗を見つけた。瞬間的に足が動いた。
「冷やされたーい」
　勢いよく中に飛び込んでいく。

「すみませーん、やってま、寒いぃぃー！」
　猛吹雪の厳しい洗礼に歯が鳴った。その場の駆け足で寒さを凌ぎ、後ろを振り返る。
「ドア、どこ行った！？」
　ぐるぐると回って一方に駆け出す。
「寒い！　寒すぎ！」
　白い息を吐きながら懸命に腕を振る。
　――寒さで足が動かなくなってきたよ。これって結構なピンチじゃないの？
　身体を縮めて尚も進む。前方が明るくなってきた。白い視界が透けて青い物が混じる。
「……暖かそうだな」
　興味が一気に加速した。武道は力を振り絞る。付着した雪を振り払うようにして走り出した。
「ゴール、ってナンダコレ？」
　目の前に広がる海は青く澄み渡り、常夏を思わせる。点々と浮かぶ氷山にはペンギンやアザラシのくつろぐ姿が見られた。
　武道は来た方向を見遣る。冬と夏が峻別されていて数メートル先は吹雪で白く染まっていた。
　その境界の近くを歩いてみた。直線ではなかった。緩やかに曲がっていた。
　――なるほどね。ドーナツの穴みたいなところが冬ゾーンになっているのか。でも、夏ゾーンのこっちには氷山があるし、生態系はダイジョブなの？
　顎に手を当てて歩いている。
　――なーんか、視線を感じるねー。
　ぴたりと止まって海へと顔を向けた。円らな瞳がこちらをじっと見ていた。
　――カワウソ、ダト……。
　武道は瞬きを忘れた。カワウソは海面を回るように泳いだ。誘っているのか。両手を挙げた状態で伸び上がって見せた。
　――あれだね。細かいことを気にしたら負けだな。カワウソが可愛い。それで全て解決だぜぃ。
　武道は笑顔となった。眼鏡を外してサマージャケットのポケットに収める。肩幅くらいに足を広げて表情を引き締めた。
「神速脱衣！」
　武道は跳んだ。サマージャケットとランニングが宙を舞い、着地寸前にスラックスを脱いだ。仕込んだブーメランパンツでいそいそと海に向かう。カワウソの泳ぎ方が激しくなった。
「いっぱい遊ぼうＮＥ☆」
　別のカワウソがひょこっと顔を出す。釣られたように一匹が加わった。雨後の筍のように次々と現れた。
「六つ子かな！　よーし、みんなで遊ぼう☆」
　武道は波を蹴散らして海へと飛び込んだ。クロールで泳ぐと六匹のカワウソが続いた。
「サワサワしないでー」
　息継ぎの合間に声を出した。カワウソは武道に身を摺り寄せて泳ぐ。乗っかろうとする一匹までいた。
　武道は堪らず、海中に潜った。透明度が高く、珊瑚礁がはっきりと見えた。熱帯魚が群れている。飛ぶように泳ぐのはペンギンで競争の真っ最中であった。
　――海の中は思っていたよりも賑やかだねー。
　カワウソは武道の周りに集まってきた。親愛の情で笑みが浮かぶ。軽く手を差し出すと一匹が人差し指を両手で挟んだ。しっとりとした鼻を押し付けてきた。
　――やわらかーい。とろけちゃうよー。
　武道は身体をくねらせる。きょとんとした一匹のカワウソが真似を始めた。全てに浸透して同じ動きを見せる。
　――こんなところに天国があったのかー。
　くねくねしながら武道は海中を泳いだ。六匹のカワウソはじゃれついた。
　――サワサワは待ってー。
　身悶えする姿で口から大量の泡を吐いた。武道は急いで浮上した。大量の酸素を吸い込んで海中に戻ると待ち構えていたカワウソに飛び掛かられた。
　――だからサワサワはー。
　何度も泡に塗れた。

「いやー、楽しかったなぁ」
　武道が砂浜を歩く。海の方に振り返ると手を振った。六匹のカワウソは小さな手を懸命に振った。終わると順々に海の中に帰っていった。
　目は近くの建物に向かう。
　――あそこはまだ行ってなかったね。
　ドアを開けて中に入るとキャットロードにいた。服装に異常はなく、全てが元通りであった。
「あるぇ？」
　不思議に思いながらも満面の笑顔となっていた。
　――楽しい思い出は胸の中にしっかり残っているよ。
　武道は暑さを感じさせない足取りで人波に紛れた。

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