月夜に届く笑い声｜リアクション

月夜に届く笑い声

　鬼ごっこで子供が砂浜を駆け回る。背中を向けた亜魚隈猯利は折り畳みの椅子に座って釣りに興じていた。傍らには海水の入ったバケツを置いていた。
「バケツに、なにも入ってないよ」
　ワンピースの女の子が右に頭を傾げた。
「なんで、なにも入ってないの？」
　女の子は猯利に近づくと今度は左に頭を傾けた。ショートの髪が涼しげに揺れる。
「……釣りを始めたばかりだ」
　猯利はリールを巻きながら答えた。女の子には目もくれない。
「お兄ちゃんの服ってポケットが多いね」
　女の子は猯利のベストに顔を寄せた。視線を上げて横顔をじっと見つめる。
「ポケットが多いと何かと」
「なにが釣れるの？」
　猯利の言葉を遮って聞いてきた。見えない何かを探すかのように海に向かって目を細める。
「……今日はヒラメ狙いだ」
「ペラペラした魚だよね」
「そうだな」
　話は終わったと、猯利は表情を引き締めて竿を操る。
「ホントに釣れるのかな」
　女の子は立ち去らなかった。竿先の動きを目で追っている。
　手応えはなく、ルアーが猯利の手元に戻ってきた。何故か、女の子は目を輝かせた。
「タクワンの色にそっくり」
「……膨張色のルアーだからな」
「なに、それ？　釣ってるところが悪いから、ペラペラがいないんじゃないの」
「それはない。離岸流の側を」
　猯利は途中で言葉を切って、横目で女の子の様子を窺う。左右に頭を傾げてから、離岸流の言葉の意味を聞いてきた。
　予想した通りなのか。猯利は息を吐いた。
「小魚が集まる部分を狙ってルアーを入れている。そのうちに掛かるだろう」
「そんなもんなの？」
「そんなもんだ」
　今度こそ、話は終わった。しかし、女の子は動こうとしない。
　猯利は椅子から立ってルアーを海に投げ入れた。適当な砂地に胡坐をかく。
「ここに座ってみろ」
「別にいいけど」
　女の子は猯利の中心に収まった。抱き抱えるような格好で竿を構える。
「竿の空いたところを握るんだ」
「こんな感じでいい？」
「上出来だ」
　一本の竿で二人は釣りを始めた。猯利が微妙な加減で竿を動かし、リールに強弱を付けながら巻いていく。
「あ、ピクッてなったよ！」
「まだ早い。しっかり飲み込むまで待つんだ」
　まるで自分が格闘しているかのように女の子の動きが忙しない。
「ヒットした！」
　竿を真横に引いた瞬間、猯利は声を上げた。
「すごい竿が動いてる！」
　女の子は転げ落ちそうな勢いで暴れた。その動きが瞬時に止まった。
　海面をヒラメが跳ねた。口の端に針が引っ掛かっている。急速に近づいて猯利の手の中に収まった。
「いい形だ」
　バケツに離したカレイを見て猯利は言った。女の子はバケツの前にしゃがんで、ぼんやりと見下ろしている。
　猯利は尻の砂を手で払って椅子に座り直した。次の投げ入れる箇所を探す。
「……水族館で、パパと見たんだっけ」
　女の子は落ち着いた声を出した。
　間もなくして猯利が横に目を向けると、そこに女の子の姿はなかった。周囲にはたくさんの子供が走り回っている。
「鬼ごっこに戻ったか」
　猯利は海に向かってルアーを投げ入れた。
　頭上には淡い光の玉が浮いている。それはゆっくりと上昇した。