三不管ノスタルジア｜リアクション

三不管ノスタルジア

２.掃き溜めに咲く薔薇は

　九龍城砦には多数存在する袋小路のとある一角。
　「え。あ、あの……」
　建物の壁まで後ずさりをし、これ以上は下がれないというところまで追い込まれた少女、緋紅朱赫乃。彼女は今にも手折られる花のようであった。
　小動物のように震えながら、彼女は赤い瞳に涙を滲ませる。その瞳の先には２人の男がいた。
　「お嬢ちゃん可愛いネー。売り飛ばしたらいくらになるかな？」
　明らかにカタギではない雰囲気を帯びたひょろ長いほうの男は品定めをするように彼女のゴシックドレスや赤い髪を観察する。
　「やー、その前に味見っしょ。格好からしていいとこのガキだろうし。脂ぎったおっさんに売る前に頂いておきたいね。僕こういう子大好物なんすよー」
　もう片方の丸眼鏡の男はそんなことを言いながら、赫乃の小さな胸や顔に下卑た視線を送る。
　「お前、そんな趣味だったのかよ。ま、俺は高く売れればヤク漬けでも調教済みでも何でもいいんだけどさ。俺としては胸が大きいほうがいいしもう少し育ってる方がいい」
　呆れるようにひょろ長い男は冗談めかす。
　「やめて……」
　ふるふると赫乃は首を振る。目の前の２人の男は赫乃を既に人ではなくモノとして見ているらしかった。
　「ああ、いいねいいね。そういう顔。そんな顔の女の子何人も見てきたよ。ま、最後は何もわからなくしてあげるからさ。安心してねー」
　丸眼鏡はそう言うと赫乃の体に手を伸ばそうとした。
　「おっと、そこまでだよ」
　２人の男の間をすり抜けて１人の青年が割り込む。赫乃と男たちの間に立つのは青い瞳の日英ハーフ、シグレ・ナイトウォーカーである。
　「てめぇ、邪魔するんじゃねーよ！」
　いきり立つ丸眼鏡。
　「そのガキは俺たちのもんだぜ、色男さん」
　ひょろ長男は激昂する丸眼鏡を抑えるように、冷静に言葉を紡ぐ。口調こそ穏やかだが、有無を言わせぬ威圧感があった。
　「残念だけどこちらのレディーは俺の知り合いでね。はい、そうですかというわけにもいかないんだ」
　シグレは臆することなく言葉を返す。
　「格好付けるのはいいんだが、分を弁えたほうがいいこともあるってことくらいは分かるよな」
　そう言うとひょろ長男は丸眼鏡とともに片刃のナイフを取り出し構える。
　「赫乃、しっかり掴まってろよ」
　男たちの剣呑な雰囲気を察知したシグレは覚悟を決めて、背後の赫乃に声をかけて胸元に抱き寄せる。
　「は、はい……！」
　抱きしめられた赫乃はぎゅうっとシグレの衣服を握る。
　「まさかガキ抱えて逃げられると思ってるのかよ？」
　丸眼鏡が自分たちの優位性を確信してかそんなことを口走る。
　いくら赫乃が小柄とはいえ、痩身のシグレが彼女を抱えて袋小路から離脱するのは難しいというよりも至難の業に思えたからだ。
　「その、まさかだよ」
　シグレは不敵に笑うと、赫乃を抱えて袋小路のコンクリート壁へ向かって走る。
　「馬鹿じゃねぇの！」
　意味不明だとばかりに男たちは嘲笑の声をあげる。
　そんな声をまったく気にも留めずにシグレはコンクリート壁に垂直に自分の足を乗せる。

　タン。まずは右足。つま先をコンクリートに突き刺すように。
　ダン。左足を全体で強く踏み込むように。
　ターン！　そして右足で踏み切る……！

　低い天井ぎりぎりの位置で宙返りをしながらシグレと赫乃は男たちの真上を飛び越える。常人では考えられない身体能力をシグレは発揮した。彼のろっこん『怪盗補正』である。
　逃げているときのみ発動する彼の能力である。

　「んな！」
　「逃がすかよ……！」

　男たちはナイフを振り上げながらシグレたちを追いかける。
　シグレは男たちの罵声を聞き流しながら、軽やかに九龍を駆け抜ける。

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