少し、昔の話をしよう｜リアクション

少し、昔の話をしよう

　回田はつなは、寝子島生まれの寝子島育ちだ。
　けれど、寝子高には、転校生としてやってきた。
　これは、昨年の、風が冷たく身に染みる時期の話――。

◇

（ああ、また駄目だ……）
　返却された答案用紙を目に、はつなは内心に重く苦い息を吐いた。
　はつなは、本土の『超』進学校に通う高校１年生だ。
　授業のスピードは目が回るほど早く、周りは皆、はつなよりずっと勉強ができる。
（もっと、頑張らなくちゃ）
　遅れを取らない為に、寮にだって入った。
　そこではつなは、一生懸命……を通り越して、必死になって勉強をしている。

　カリカリ、カリカリ。
　シャープペンシルがノートの上を走る音だけが、深夜の自室に響く。
（また、成績が下がっちゃった）
　焦って、焦れば焦るだけ何をすればいいのかがわからなくなって、それでも頑張って。
　自分にはこの環境が合っていないのではないか、なんて考える余裕はなかった。
　ただ、がむしゃらに勉強する。
　それだけで、いっぱいいっぱい。
　夜食の準備をするどころか、コップ１杯のミルクを温める時間さえ惜しかった。

　空回りは続き、成績は下がり続ける。
　ぼさぼさになった髪の手入れをする余裕は、とてもない。
　それでも、笑顔だけは習慣で作っていた、そんな、ある日。
「トトが……？　うん。そっか。帰れなくてごめんね」
　電話越しに告げられたのは、妹みたいに思っていた愛犬の訃報だった。
　それから、数日後。
　学校で、はつなは倒れた。

　目が覚めたら、病院だった。
　父親と今後の話をしたあとは、病室にひとりきり。
　はつなは、清潔な真っ白の掛け布団の裾を、ぎゅ、と握り締めた。
　気持ちが、心の底の底、もう覗くことも叶わないところまで、ずんずん落ちていく。
（私のいい所は『成績』と『笑顔』だけなのに）
　なのに、両方、上手く行かなくなってしまった。
　自分が、何も持っていない人間みたいな気がして、また、気持ちが落下する。
　はつなは、亡くなった母の顔を思い出した。
（お母さんから褒められた部分、そこだけだったのに……）
　じわ、と、視界が涙で霞んだ。
　今は、笑えない。
　いつになったらまた笑えるようになるのかも、わからない。

　それから、暫く経って。
　その日も、はつなはいつものようにめそめそとしていた……の、だが。
　――はらり。
　伸び放題になってしまっていた前髪が、顔にかかる。
　それが、その日突然、ものすごく邪魔なもののように感じられた。
　手近のハサミを手に取る、衝動的に、それを、自身の髪に伸ばす。
　――ばつん、ばつん、ばさり。
　適当に、切って、切って、切りまくった。
　そして――覗き込んだ鏡の中に、はつなは、久方ぶりに『光』を見つける。
（なんだ。私、可愛いじゃん。私には容姿があるんだ）
　成績と笑顔だけ、ではなかった。
　気持ちが少し、上を向く。
（……美容院で、ちゃんと整えてもらおうかな）
　前と後ろで、髪の長さは少し違ってしまうかもしれないが、構わない。
　はつなは今、立ち上がるに足るだけの『光』を、手のひらに掴んだのだから。

◇

　そうして、はつなは今は、寝子島の、母方の祖父母の家から、新しい学校――寝子高に通っている。
　新しい『光』を携えて、にこにこの笑顔で。