FEAR THE FORCE：夢幻泡影｜リアクション

FEAR THE FORCE：夢幻泡影

　佐藤英二は空を見上げた。
　監視気球『テオ』が横切っていく。その丸い影が、白黒反転したスポットライトのように自分を丸く包むのを感じる。
　今でこそ『まもりねこアドバルーン』などと呼ばれているが、テオの正式名称は『Terror Electricity Oculis』だ。すなわち監視能力をもつ自律性攻撃兵器ということだ。夏になるたび学校で観る記録映画では、テオが侵略者の船を沈め航空機を撃墜する勇姿が何度となく登場していた。そのことを思い出すと、少しだけ背筋が寒くなった。
　やがてテオは現れたときのように、ゆっくりと英二の頭上から離れていった。
　いつもと変わらぬ夏の朝、いつもと同じ通学路、いつもと同様にブロック塀の上から、スフィンクスよろしく自分を見おろしているのは、テオと似た色柄のハチワレ野良猫、やあと片手を挙げても、野良猫はニャアの一声すら上げず逆三角形の目でこちらを見ているだけ、このあたりもひっくるめてすべて、いつもと異なるところはない。
　だから別に問題ないよね、と『いつもと同じく』英二は思う。
　いつもと同じく？
　どうしてこんなこと、いつも確認しているのだろう。
　平均とか標準とかいう言葉をあてはめるのが適切かはわからないが、英二は自分が平均的で標準的な高校生だと思っている。ようするに平穏にして平凡、血湧き肉躍る冒険や愛憎相克する大恋愛、急変につぐ急変のジェットコースター的運命とは無縁、ありきたりな公国民の男子高生として、とくにレールを逸脱しない日々を送っていた。
　それでいいと思う。少なくとも英二は満足しているし、自分が選んだ生き方だとも考えていた。寝子島が日本から独立するしないでもめていた頃ならともかく、左右のバランスが取れたやじろべえのように安定した現在に、わざわざ特殊な人生を求めたいとは思わない。
　なのに。
　――僕は、『とても大事なこと』を忘れているような気がする。
　教科書やノートを忘れたのではない。
　鞄につめられるようなものじゃないはずだ。
　小学校に入る前の遊び友達の顔みたいに、好きだったアニソンのサビ前の歌詞みたいに、よく知っていたはずなのに、それこそ毎日のように接していたはずなのに、どうしても思い出せない。
　しかもそれは、旧友の顔や歌詞よりもっとずっと、大事な記憶ように思えてならないのだ。
　そういえば、と英二は思う。
　こんな気持になるのは、テオを見たときに限られている。
　英二はもう一度空を見上げた。気球はもう遠い。
　突然、気がついた。
　テオじゃない。あの『猫』、あのハチワレ模様のグレー猫を目撃したときに限って、自分はそんな気持ちになるのだ。
「いない……か……」
　つぶやいた。
　とうに猫は姿を消していたのだった。
　なぜだかほっとした。
　でも、寂しいな、とも思った。