●エピローグ:すべて焉(お)わって
かくして、あらゆるものは幕を下ろした。
◆◆◆
ふたたび幕が上がる。
●プロローグ:Fiat Voluntas Tua(汝ガ意思ノママニ)
下から見れば球形、正面から見れば、猫の生首である。
何のことはない、猫の顔をかたどったアドバルーンだ。決して手は届かないが目視はできる絶妙の高度をたもち、寝子島の空に漂っている。
生首といっても愛嬌のある表情で、丸くディフォルメされておりコミカルですらあった。風にのってゆらりゆらりと、左右に揺れる姿はタンポポのようでもある。
両目から頭部、ぴんと立った耳までが蒼みのある灰色、鼻から口元、顎にかけては雪白と、きっちり左右均等に染め分けられていた。いわゆる『ハチワレ』模様というものだ。両の耳はピンと立っている。
普通のものと異なるところは、このアドバルーンが係留する紐を持たないということ、それと、数百メートル程度の一定間隔で寝子島じゅうに漂っているということだろうか。よく見ればそれぞれが、ゆっくりと自律移動していることもわかる。
その愛くるしい外観に似合わず、この『まもりねこアドバルーン』通称『
テオ』こそは、
寝子島専制公国の治安をたもち外敵からの防衛をになう守護神なのである。
『テオ』は公国領すなわち寝子島を、犯罪、外敵、その他問題から守っている。近年その実力が行使されたことはないものの、必要とあれば対象を行動不能にするほどの電流を、その両眼からほとばしらせることもできる。気球とちがってナイロンのたぐいではなく、伸縮に富む特殊合金製だ。
現在の寝子島は、島一つが小さな国家、日本から独立した国連加盟国なのだ。監視国家そのものの姿であるが、当の国民にそう思っている者は少ない。国民の幸福度を示す棒グラフはずっと、世界最高水準の高みにあるという。
なぜならここは、国民が内面にかかえる理想を体現した世界だから。
ある者は、どこか別の世界の自分が、思い描いた想い人と添い遂げている。
ある者は、どこか別の世界の自分が、つかめなかった名声と富を得ている。
またある者は、どこか別の世界の自分が、失ったはずの縁者と息災に過ごしている。
望んだ幸福がここにある。最初からそうだったとして、当たり前のように、ある。
たとえ互いの幸福が、矛盾しあうものであろうとも。
◆◆◆
●FEAR THE FORCE part3
●ある一日
暑すぎない?
七夜 あおいが目ざめて、最初に思ったのはこの言葉だった。
息苦しいほどの湿度と熱気。ベッドが、巨大湯沸かし器の上に置かれているのではと錯覚する。温度計の濃赤色が、つきつけてくるのは厳しい現実だ。
しかもまだこんな時間だというのに。暦だって六月のはずなのに。
汗びっしょり、しかもけっこう恥ずかしい姿だった。濡れ布巾みたいになった白Tシャツ一枚を除けば、あとは下着だけという丸裸に近い状態だったからだ。パジャマの下だけ身につけていたはずが、無意識のうちに脱いでしまったものらしい。脱ぎ捨てられたぐしゃぐしゃが、申し訳なさそうにベッド脇でしなびていた。
カレンダーの表記にこだわるのもどうかと思うが、エアコンのスイッチを入れることには抵抗があった。せめてあと数日、七月に入るまでは待つつもりであった。
でも、もうそれも限界か。
シャワーを浴びるべくあおいはベッドからすべり降りた。
隣で寝息を立てる夫を起こさぬよう、忍者のような爪先立ちで寝室から出て行く。
公国の法律では男女ともに満十五歳から結婚できる。早すぎると母親は反対したが、あおいはこれまで一度も、いまの夫と結ばれたことを後悔していない。
この猛暑にいいところがあるとすれば――あおいは思った。
目覚ましが必要なくなった、ってことくらいね。
登校のため家を出るまで、まだかなりの時間的余裕があった。
―――――――――
「ごきげんよう」
純白のモダンなワンピースを引きしめるのは、腰の黒いベルトと胸元の徽章、蝶のような形の襟も優雅だ。
まだ寝子高の制服ができていないので、
詠 寛美は前の学校の夏服を着ている。
彼女が教室に入ってきただけで、熱気で澱んだ教室内に一服の清涼味がもたらされた。
寛美は日本からの交換留学生、公国とかの国の関係もこのところはすっかり改善し、こうして文化交流ができる段階まで達していた。彼女が明かさないので真相は不明だが、寛美は日本の政治家か、大地主の娘だといわれている。(後進国日本では、往々にしてその両者は同一だったりもするのだが)
いずれにせよ彼女の優雅な物腰は、まさしくお嬢様と呼ぶにふさわしい。
「詠さん」
実際に声に出すものはなかったが、このとき教室にいた生徒はみなその場に、目に見えぬさざ波が立つのがわかった。
剣崎 エレナだ。一歳年上だが同じ三年生。見聞を広めるため、という名目で彼女は一年留年し、二度目の生徒会長選に挑むと見事その座に着いた。手段はともかく、望みを達さんとする彼女の熱意を讃える声は少なくない。
エレナが歩くとモーゼよろしく、生徒たちは左右に道を開けた。
エレナの歩みは、寛美の前でぴたりと止まった。
「ええと……」
いささか困惑した様子で寛美は立ち上がる。
「剣崎エレナと申します。生徒会長の」
えっと、と、多少言いにくそうにエレナは言った。
「詠寛美さん、私、寛美さんのお友達になってあげてもよろしくてよ?」
おいおい、と言いたくなった生徒もいたのではないか。しかしエレナらしいと思う生徒もいたはずである。
すると寛美はむしろ嬉しそうに、
「喜んで」
まぶしげな笑顔を浮かべたのだった。
「そ、それは結構」
言い出したエレナのほうが気圧されたように胸を反らす。
「ところで寛美さん、ご趣味は?」
「趣味?」
寛美は顎に手をやり、ほんの少し、考えた様子だが、やがてにっこりと、
「格闘技観戦ですわ、とくに柔道や空手の」
と告げたのだった。
―――――――――
灼けつく陽射しを避けながら、
テオドロス・バルツァは忌々しげに空を見上げた。
ふわりふわり悠然と、猫の生首が空を横切ってゆく。
人間ならここで、ぺっと唾を吐き捨てていたことだろう。
――何が『まもりねこアドバルーン』だ。
しかもその英語だかラテン語だかの正式名称の頭文字をつなげると『テオ』になるという。
ブラックジョークにしてもほどがあるのではないか。
猫は、縦半分に割ったアーモンドのような目をする。
やってくれたモンだ、と思う。『黒の螺旋』だか何だか知ったこっちゃねえけどよ。
自分の監視をすりぬけ、これほど大規模なことを仕掛けてくる人間がいるとは予想外だった。
香川王堂(かがわ・おうどう)、またの名をドクター香川。この男がどこでこの強大な力を手に入れたかは不明だ。香川が用いる『王珠(おうじゅ)』なる力は、水晶玉を媒介としているように見えるが実際のところは『ろっこん』に近い異能力であることをテオは知っている。
テオの分析によれば王珠はサイコキネシスの一種だ。物理法則をねじ曲げ、ろっこんが跳ね返るという錯覚を使い手に起こさせ、テオの目すらくらませた。
だがその力を発揮するには代償が必要だった。
王珠を使うたびに生命力が削り取られるのだ。香川自身ではなく、彼が唯一愛した肉親の。
王珠の力、そして策謀を駆使し、香川は世界の改変を成し遂げた。現在は唯一無二の公王として、寝子島に君臨し統治を行っている。
――それで、知らず知らず協力する結果になった人間たちに配ったのが、『理想の未来』の成就ってやつか。
とんだユートピアもあったもんだ。
馬鹿馬鹿しい、とテオは大きな欠伸をした。
日影に入ったせいか気持ちがいい。溶けるようなアスファルトにヒリヒリしていた足裏も冷えてきた。どたっと横になって四肢を伸ばすと、風も吹いてきてなんとも良い気分ではないか。にゃむにゃむと声を出して口をモグモグさせると、なんだか駄犬ならぬ駄猫みたいに、何も考えずゴロゴロして過ごしたくなる。
何も考えずゴロゴロ、か――。
もうひとつ、ほわああと大きな、コンビニおにぎりが丸ごと入りそうな欠伸をテオは漏らした。
もしかして。
もしかして俺って、そんな生活を理想としていたのかもしれないな……。
いつの間にかテオの頭のなかは、今夜どうやってエサにありつこうか、とか、あの工場に抜け穴があったよな、とか、オモチャのネズミがほしいなあ、とか、そういった駄猫そのもののような思考パターンにすり替わっていた。
この世界から抹消された。あるいは姿をくらませた
野々 ののこのことを思いだすことすらできなくなっていた。
●あなたの一日
さてここで、あなたの登場だ。
あなたはこの世界に生きている。これが当たり前で、最初からそうであったという世界に。
時間は近い未来、本来の世界のちょうど一年後だ。
願っていた未来を手に入れ、あなたは満足しきっているのではないか。
それとも、この甘い日々に、一抹の疑問を抱いているかもしれない。
何かがおかしい――と。
疑念から、もうひとつの世界の記憶を取り戻せるかもしれない。
目の逸らしようのない矛盾に直面し目覚めるかもしれない。
といっても記憶に封をして、この世界に順応しきるのもまた、ひとつの生き方であろう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
とても間隔が空いてしまったことを深くお詫びします。
マスターの桂木京介です。
本作はゴールドシナリオであり、<FEAR THE FORCE> と名付けられた一連のシリーズシナリオの3作目にして完結編となります。
これまでの2作『FEAR THE FORCE:前哨』『FEAR THE FORCE:変異-METAMORPHOSE』に参加していなくても問題はありません。どなたでも参加できますし、歓迎いたします。
世界は書き換わりました。本シナリオは1年後の話となります。時間軸こそ1年後ですが、これまでの『らっかみ!』の歴史が1年前から枝分かれしたのではなく、もっと昔、それこそ十数年前から歴史が改変された平行世界です。
改変の主は、ドクター香川と呼ばれる黒幕です。現在香川は、日本から独立した寝子島専制公国の王座についています。
あなたはこの世界で、どんな風に暮らしているでしょう?
本作を完全なIFシナリオとみなし、あなたのキャラクターにとって『都合のいい』異世界を楽しみつくしてもいいでしょう。
なにかのきっかけ(それはキャラクターによります。あなたらしいものを考えてみて下さい)で本当の世界の記憶を取り戻し、香川を倒し元の世界の回復を試みるというアクションも考えられます。
どちらの、あるいは、もっと別のアクションも基本的にはすべて歓迎するつもりでいます。それが、『らっかみ!』というお話の楽しみ方なのですから!
これまでのあらすじ
昨年冬、寝子島にある鍾乳洞『鼻岬』に、『ドクター香川』とそのボディガード『ナターシャ』が密かに上陸しました。彼らはこの場所に世界を改変する力『黒の螺旋』が封印されていると考え、螺旋を目覚めさせるための依り代として野々ののこを誘拐します。
ろっこんを持つ能力者(もれいび)たちはののこを救うため、あるいは運命に導かれるようにして洞窟に乗り込みました。最終的にののこは救出されますが、同時に螺旋は解放されてしまうのでした。
(以上、『FEAR THE FORCE:前哨』)
春、寝子島高校を舞台に、香川の実験が行われました。出現した螺旋(昆虫と龍の中間のような姿をしています)は休日の高校を支配し、偶然居合わせた人たちは平行世界も取り込まれ、自分にとって都合の良い幻想を見させられます。ですが彼らは力を合わせてこれを打ち破り、香川とナターシャを退けたのでした。
(以上、『FEAR THE FORCE:変異-METAMORPHOSE』)
そして夏、いよいよ香川は世界の改変に乗り出しました。あっという間に世界は終わり、そして、新たな平行世界が生み出されたのです。
このシナリオは、平行世界に全員が取り込まれた状態から開始となります……。
舞台
本来の世界、『正史』のきっかり1年後、アムリタと呼ばれる平行世界(?)の寝子島が舞台です。
島内の構造はほぼ正史に準じますが、町役場が『夏の宮殿』と呼ばれる公王公邸になっているなど、多少の違いがあります。
また、島内にはシナリオガイドに描いた『テオ』が多数浮遊しており、不審な行動をする者に警告を与え、ときに攻撃を開始します。
人物
●ドクター香川:『前哨』『変異-METAMORPHOSE』に出てきた黒幕です。王珠(おうじゅ)と呼ばれる水晶球のようなアイテムを所持していますが、これは物理法則をねじ曲げ、『ろっこん』の使い手に能力が自身に反射するという幻覚を与える香川自身の能力を発動させるための媒介です。この平行世界(アムリタ世界)の寝子島に君臨する国王ですが、ここ数年は政治は陪臣に任せており、自身は夏の宮殿に籠もりがちで姿を見せることが少なくなっています。
●ナターシャ:正史では香川のボディーガードでしたが、アムリタ世界では『一般人として暮らす』という自身の願いを叶えており、寝子島高校の体育教師をしています。
●香川道太郎:正史では『アルチュール・ダンボー』というふざけた名を名乗る芸術家でしたが、アムリタ世界では寝子島総合病院内に設けられた厳重警戒の隔離病棟に入院している瀕死の患者です。
必ずこれら人物に会うことができるとは限りません。
アムリタ世界でのキャラクターについて
あなたの願望を実現した未来の姿と、その生活を描写します。
この世界でのあなたは、世界が最初からそうであったと信じ疑いすら抱いていません。
アメリカ大統領になっている、といった島外に生活基盤を置いている内容を描くのは難しいですが、アクション次第ではそういった力強い展開も可能です。
他のPCさんとの矛盾や競合は気にしないでください。むしろ、それがあったほうがアムリタ世界のほころびを見出すきっかけになるかもしれません。
なにかの拍子に異世界(正史)の記憶が蘇るという展開が話の流れ敵には王道でしょう。けれども、あえて見なかったふりをする、それどころか気づきもしない、というアクションも美しいと思うのです。
テオ(まもりねこアドバルーン)について
誰がこんなデザインを思いついたのでしょうか。監視ロボットです。
ただし恐怖や管理社会の象徴ではなく、大半の住民には、平和と安全の見張り番として親しみをもって受け入れられています。普段は信号機程度にしか意識されていないようです。
一度牙をむけば、恐怖の象徴に一転するのは言うまでもありません。
アムリタ世界でのNPCについて・1
以下のキャラクターに登場の可能性があります。(正史でのあなたとは別の関係を結んでいるかもしれません。その場合は、どんな関係か簡単に書いていただければあとはイメージして合わせます)
●七夜 あおい:寝子島高校三年生、結婚しており新居から通学しています。ののこに関する記憶は一切ありません。
●詠 寛美:寝子島高校三年生で日本国からの留学生でもあります。超がつくほどのお嬢様です。
●五葉泰子(ごよう・やすこ)(※未登録キャラクター):正史では『泰葉』と名乗りキャバクラで働いている女性です。アムリタにおける彼女は、ノーメイクで花屋を営んでいます。正史よりずっと幸せそうです。
●テオドロス・バルツァ:ときどき正史のテオとしての記憶が蘇ることがありますが、基本的にはただの野良猫になってしまっています。
他のNPCについても、原則登場は自由です。仮に正史での故人であっても問題はありません。
彼または彼女はこの地で、どんな風に生きているのでしょう?
アムリタ世界でのNPCについて・2
以下、やや特殊な扱いとなるNPCです。
●野々 ののこ:この世界には存在すらしていません。あおいですら、彼女の記憶を有していないのです。ののこを思いだすことが、アムリタを崩壊させるきっかけになるかもしれません。
●胡乱路 秘子:ほとんど唯一、アムリタの影響を受けることなく元の世界の自我を保ちつづけているキャラクターです。彼女は世界に干渉しようとしません。ただ含み笑いを浮かべて、この状況を楽しんでいます。
それでは、次はリアクションでお目にかかりましょう。
あなたのアクションを楽しみにお待ちしております! 桂木京介でした!