FEAR THE FORCE：夢幻泡影｜リアクション

FEAR THE FORCE：夢幻泡影

　優木遥斗は懸命に走っていた。
　思いだしたのだ。
　思いだしてしまった、というべきだろうか。
　この世界はいわゆる『正史』ではない。どこかねじ曲げられた架空の世界だ。パラレルワールドということもできるだろう。この平行世界に遥斗はもちろん、多くの人間が取り込まれてしまった。取り込まれた人間の中には……五葉泰子、いや、泰葉もいるに違いない。
　夜7時過ぎの番組を見て飛び出したからすでに8時は回っているはずだ。しかし気がつくとまだ夕方で、商店街の店はいずれも、ようやく店じまいの準備に入ったところであった。
　時間が巻き戻っている……？　世界はゆがみ、死に瀕しているという印象を受ける。とりわけ、野々ののこのことを思いだしてからはその速度は早まったのではないか。
　そんな考察よりも泰葉、いや泰子だ。遥斗は、花屋が見えるところで足を止める。
　よかった、彼女はいた。誰か友人と立ち話しているようだ。
　友人らしき女性が立ち去ると、遥斗はすぐに駆け寄った。
「五葉さん」
「あら、優木くん。こんな時間に珍しい」
「実は……」
　と言いかけて遥斗は口ごもる。
　無我夢中でここまできた。そして明かすつもりだった。
　この世界は偽りだと、目を覚ますべきだと。
　けれど――。
　泰子が自分に向けているのは、なんの屈託もない笑顔だった。
　『正史』の彼女と比べるとずっと化粧っ気がない。悪く言えば十人並みの容貌だ。
　けれど『プロムナード』のトップ泰葉がときに見せる危うさ、寂しそうな表情、思い詰めたような目線は、いまの泰子には無縁だった。
　フラワーショップの仕事を楽しみ、もうじき大学に行けると言って喜んでいる泰子と、華やかな世界に身を置きながら陰を背負う泰葉の、どちらが幸せといえるだろうか。
「変なこと、聞くかもしれませんけど……いいですか」
　遥斗の口調にただならぬものを感じ取ったらしい。泰子は、恥ずかしそうに顔を伏せて言った。
「お……お付き合いしている男性なら、いない……よ？」
　予想外の反応、遥斗は心臓を握りつぶされたような気持ちになる。
「い、いやそんな話じゃなくて！　失礼しました」
　ここで瞬時に頭と話題を『そんな話』に切り替えられるような器用さは遥斗にはない。
「うまく説明できませんが……このところ何か疑問を感じたりしていませんか？　自分が……本当の自分ではないというような」
　呆れられるかもしれない、という危惧は当たらなかった。
「優木くんも、感じてたんだ」
　泰子は疲れたような笑みを見せた。
　その笑みはあまりにも、泰葉のそれに似ていた。
「私、今の生活気に入ってるよ。花に囲まれて充実してるし、念願だった大学にも行けそうだし……でもこれって、うまく行き過ぎ、私には分不相応だって思ってた」
「そんなことはありません」
「ありがとう。でも、疑問を抱きつづけながら生きている時点でもう、幸せじゃないのかな」
　遥斗は、かけるべき言葉を見つけられないでいる。
　けれど、
「そうだ」
　ポケットの中、プラスチックケースのことを思いだした。取り出して告げる。
「猫の目シーグラスのブレスレット、です。自作しました」

「受け取ってくれとまでは言いません。預かっていて、くれませんか。俺はこれから、世界を元に戻しに行きます。戻るまで、五葉さんに持っていてほしいんです」
「わかった。大切に持っているね」
　両手で受け取ると、泰子はこれを、胸に抱くようにして収めた。
「それと」
「はい」
「泰子って呼んでくれていいよ、遥斗くん」
「はい……泰子さん」
「私が本名を教えた相手って、寝子島では遥斗くんが初めてかも」
　すでに彼女の笑顔は、泰子ではなく泰葉のそれだった。
　頭上を振り仰ぎ、遥斗は『テオ』の姿を見た。
　動いている。
　まっすぐ、こちらに向かってくる。眼に宿った赤い光は警告灯だろうか。
　――彼女を巻き込むわけにはいかない。
「行きます！」
　戻るつもりですから、と告げて遥斗は走り出した。思った通りだ、テオは自分のあとをついてくる。
「遥斗くん！」
　泰葉の呼ぶ声がする。
「来ないで下さい！　必ず戻りますから！」
　急げばテオに追いつかれるより早く、竹刀を置いてある部屋まで戻れるだろう。
「遥斗くん！」
　泰葉の声が遠ざかっていく。指示通り動かないでいてくれるようだ。
「遥斗くん、今日私が言ったこと、全部本当だから！」
　もう返事している余裕はない。遥斗は全力で走り出す。
　それにしても――走りながら考えた――全部、とはどういう意味だろう？

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FEAR THE FORCE：夢幻泡影

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