FEAR THE FORCE：夢幻泡影｜リアクション

FEAR THE FORCE：夢幻泡影

　妙だ。
　八神修は怪訝な顔をする。

　七夜あおいと腕を組み、身を寄せ合うようにして通学路を歩いている。
　今日も朝から抜けるような青空だ。妙なのはその空ではない。
「夢みたい」
　他愛もない会話の途中で、なにげなくあおいが言う。
「こんな早く結婚できて、俺こそ夢みたいだよ」
　修はそう応じながら、どうにも疑念を拭えないでいる。
　妻とふたり、水入らずの登校だ。それはいい。
　それにしても理想的すぎないか。
　友達以上恋人未満、むしろそんな表現のほうが落ち着く気がするのに。
　それに、いつまでたっても学校に着かないことも腑に落ちない。修の時間感覚では、とうに着いていてもいいはずなのに、いまだ寝子高の姿は水彩画みたいな遠景だ。
　学校に着きたくない。
　この時間をあおいとずっと共有していたい。
　そんな意識があるのも事実ではあるが。
　話題はつきない。話は、バレンタインの記憶へと飛んだ。
「あの時配ったよな？　あの子も大張り切りで」
「あの子、って？」
　問い返されて修は言葉に窮した。
　そういえば、なんという名の子だったろうか。女子で、あおいの親友で……そのあたりまでは覚えているのだが、彼女の顔も名前も、どうしても思い出すことができない。
「ええと、ほら……」
　あおいはまばたきをくりかえすばかりだ。『彼女』の存在すら記憶にないらしい。
　そうだ、と修は自己の記憶の沼から、手がかりをひとつ見つけ出す。
「たしか、俺と結婚するまであおいの同室の子だよ」
「私、結婚するまで一人部屋だったはずだけど」
　馬鹿な。修は戸惑う。
　しかしそれと同時に、
　――やっぱりな。
　という、冷たい諦念のようなものも心に芽生えていたのだった。
　幸せな結婚生活。結ばれてからのあおいとの思い出……それらが、土塀に塗られた漆喰のごとく、ボロボロと崩れていくのを修は理解していた。
　偽りなのだ。すべてが。
　だから、辻褄の合わない部分が出てくる。
　永遠に近づいてこない寝子島高校、その姿は空気に溶けるようにして消え、

　もう一人、あおいが姿を見せた。

　鴻上彰尋も登校の途上にあった。
　七夜あおいと手をつないで。
　雲一つない青空、得がたい配偶者、希望に満ちた高校生活。
　だがそれを割るように、鋭い着信音が鳴った。彰尋はポケットから携帯を取り出す。発信者名は『志波武道』だ。
「あれ……？　武道先輩？」
　なんだろう、と着信ボタンを押しかけた彰尋の手に、あおいが手を重ねた。
「出るの？　電話」
「でも先輩が」
「いま話すべきこと？」
　えっ、と口ごもる彰尋の顔をあおいは見上げている。真剣な表情だった。
「考えてみて。私は、幸せ。彰尋君はそうじゃない？」
「幸せだよ。当然じゃないか」
　着信音が小さくなっていく気がした。遠ざかってゆく消防車のように。
　どうしていま、この電話に出る必要がある？
　彰尋は唐突に悟った。この電話に出てしまえば、なんとか仮糸でふさいでいた綻びが、解けてしまうだろう。広がった綻びの向こうには、見たくものがあるかもしれない。
　すべきことは決まっている。電話を無視することだ。
　けれど彰尋はどうしても踏み切れなかった。
　起きたときに感じたあの切なさがよみがえってきたのだ。
　たとえるならば、見知らぬ土地で故郷を思う哀しみのような感情となろうか。
「ごめん、電話に出るよ」
　彰尋は心のなかで付け加えた。
　ごめん、七夜さん――。
「あーもしもし？　武道だよ久しぶりー」
　彰尋は返事ができなかった。
　目の前に忽然と、こちらに歩いてくる二人連れが現れた。
　ひとりは、八神修。
　そしてもうひとりは、七夜あおいだった。
　驚いて自分のかたわらに目をやれば、そこにも、あおいがいた。
　どうなっているんだ……？
　しかしそれも一瞬のことだった。
　もう一度修のほうを見る。あおいは消えている。
　自分と腕を組んでいたはずの、あおいだって消えている。
　
「……俺には、行くべき場所がある。会うべき人間がいる」
　修は足元に視点を落としたまま告げた。
　酷いペテンだ。
　これを仕組んだ人間についてはわかっている。
　ドクター香川、この世界で国王を僭称する男。
　修は駆け出していた。香川に会わなければならない。
　一人取り残される格好となった彰尋も、ほぼ同じ結論に達していた。
　――ああ、そうか。ここは香川が産み出した……望んだ、世界。
　黒の螺旋と呼ばれる力が、起こした幻想に違いない。
　見れば、まだ携帯は武道とつながっていた。
「武道先輩……ですか」
　目が醒めました、と彰尋は言った。

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FEAR THE FORCE：夢幻泡影

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