FEAR THE FORCE：夢幻泡影｜リアクション

FEAR THE FORCE：夢幻泡影

　コンロを背負って立っている気分だ。
　背中が焼ける。じりじりと、夏の火炎球に焼かれている。
　しかし新田亮の手の中にある白球はある意味、太陽より熱いのだった。
　帽子のつば、その先端を親指と人差し指で挟む。心持ち親指に力を込めこするようにする。
　大事な局面に立ったとき、つい出てしまう癖だった。亮の帽子は、その部分だけ汚れがひどい。
　大事、なんて軽々しいものではないかもしれない。
　いま現在寝子島で、もっとも重要な場所はこのマウンドだと亮は信じて疑わない。
　日本から来た名門校との親善試合。
　親善？　そんな甘い言葉はうわべだけのものだと、この場所にいる誰もが知っている。
　なぜならこの一戦は、夏の全国大会への切符を賭けた試合でもあるからだ。
　独立国寝子島も、かつてと同じく甲子園夏大会への参加資格を持つ。といってもいわゆる『特別枠』で、県代表を逃した隣県トップ校を交えた巴戦を制しなければ出場はできない。
　一昨年、そして昨年も寝子島代表は出場を果たせなかった。
　しかし今年は、その夢にあと一勝を残すまでにたどり着いている。
　汗の雫が亮の頬を伝って落ちた。視界が歪む。蜃気楼の彼方に、相手打者が立っているような気がする。
　１点リードで迎えた九回裏、ツーアウトまで取ったところで亮の投球は乱れ、相手にみすみす満塁を許すという窮地に追い込まれていた。
　崖っぷち。それどころか踵はもう、崖から半分はみ出ている。
　しかもこの状況で迎えるバッターは、敵チームの4番にして主将なのである。
　最悪だ。
　本日あの4番は三塁打と二塁打を記録しており、絶好調といっていいだろう。
　ファウルの連発で追い込んだものの、すでにボールカウントも埋まっており、次、亮のコントロールが狂おうものならたちまち押し出しの同点になる。5番打者はスクイズプレイの得意な巧者、サヨナラもありえるだろう。
　いやそれどころか、パワーヒッターである4番に大きな当たりが出ようものなら、たちまちゲームセットではないか。
　負ける展開ばかり考えるな、亮は己に言い聞かせる。
　ここで討ち取れば次の舞台は甲子園じゃないか。憧れのあの場所だ。
　だが――。
　このシチュエーションに置かれて、プレッシャーを感じない投手がいるだろうか。
　正直、押しつぶされそうだと亮は思った。これほど暑いのに、胃の腑には重く冷たいものを感じる。
　キャッチャーのリードに目を凝らす。女房役の田中を、信じる。
　――ん？
　亮は我が目を疑った。キャッチャーの田中が出したサインは、ストレートでもシンカーでもなく、ありえないものだったのである。
　中指を立ててやがる。
　当然、そんな投球サインはない。
　あの野郎、と思うと口元に切れ込みのような笑みが浮かんだ。
　相変わらず品のない奴だ。まあ、俺も待たせすぎたけどな。
　あれこれ考えても仕方がない、なるようになるさ。
　決め球をくれ、ってことだろ？
　わかってる。
　フルベースだから遠慮はいらない。亮は両肩が外れるくらい大きく振りかぶった。
　
　数分後、スタジアムを埋めた観客から爆発的な歓声が上がった。
　ゲームセット。
　外角高め剃刀のごとき豪投は、相手主将のバットがかすることさえ許さなかった。
　胴上げで宙に舞う。最初に監督が。そして、エースピッチャーが。
　舞う亮の飛び抜けて大きな体は、いささか窮屈そうでもあった。
　亮は名物エース、その豪快にして美しい投球フォームは、相手チームの応援団すら、一瞬みとれてしまうほどだという。強さと優しさを兼ね備えた主将でもあり、多くの部員に慕われている。そのスター性に目を付けたか、甲子園入りを前にして、すでに日本のプロ球団、そればかりかメジャーリーグチームからもスカウトマンが偵察に来ているという噂だ。
　亮の夏にひとつの区切りがついた。
　しかしこの勝利は竹でいう節のようなものにすぎない。
　その豪腕は、大舞台でより一層光り輝くであろう！