FEAR THE FORCE：夢幻泡影｜リアクション

FEAR THE FORCE：夢幻泡影

　まったくその存在に気づかぬまま鬼河内萌を追い抜き、「僕、あの人知ってるよ！」と妙に盛り上がっている桜庭円と、その友人の小山内海の横を会釈して通り過ぎると、『優等生』如月庚は教室に入った。
「おはよう」
　庚があいさつするだけで誰もが、いそいそと通り道をあけてくれる。誰もがうっすらと、あるいは明白な尊敬のまなざしで彼を見ている。遠目に太陽を拝むような。
「如月、前言った弁論大会の代表の話なんだけど、考えてくれたか？」
「昨日サボった数学Cの授業ノート、貸してくれると嬉しいな。如月君のまとめかたって読みやすくって」
「芸術科の子から手紙預かってて……ごめん、読むだけ読んでもらっていい？　返事は書かなくていいから！　お願い！」
　庚が座るや、議員に陳情する有権者のごとく、数人の生徒が入れ替わり立ち替わりその前を訪れた。どの相手に対しても庚は、ほどよく丁寧な対応をする。受けても恩着せがましくならず、断る場合も相手に不快感を与えぬよう、細心の注意をはらい穏やかな最適解を返すのだ。
　これが庚の処世術だ。当たり障りなく、目立ちすぎず、波風を立てぬように。
　急がば回れと古諺にいう。わずらわしい話であってもひとつひとつ印象の良い対応をしていれば、教師からも同級生からも受けはいい。気がつけば庚は学校内で、誰もが認める優等生としての地位を確保するに至っていた。
　おかげで庚の高校生活は、風なき好天の海のごとく、凪いだ日々が続いている。生徒会長選挙への出馬こそたくみに回避したものの、剣崎会長にどうしてもと言われ、結局書記に就任してもいた。
　まるで結末まで書かれた『あらすじ』のよう。このままいけば優等生のまま卒業し、進学し、やがて就職することになるのだと、庚には将来の見通しが立っていた。
　しかし……。
　ふと思う。
　これでいいのだろうか、と。
　これは本当に、自分が望んだ高校生活なのだろうか。
　不自由がないのは間違いない。
　されど不自由がないからといって、自由であるとは限らない。

　昼休み。
　さすがに人目があるのではばかって、庚は屋上で手紙を開いた。朝、芸術科の子から、と言って同級生が渡してきたものだ。
　例によってまた、恋に恋する女子からの、憧れと自己愛とがごっちゃになって、そこにポエムをふりかけたようなラブレターだろう。
　薄紫色の封筒。開くと同じ色の便箋が姿を見せる。同時に、ふわっと麝香（ムスク）のような香りがした。
　なにか違うな、と庚が思ったのはその直後だ。
　糊付けのせいだろうか、便箋を開くと、にちゃりと湿った音がしたのである。
　広大な湿地帯に、最初の一歩を踏み入れてしまったような音だ。
　差出人の名は達筆で、『胡乱路秘子』としたためられていた。縦書きである。
　風が吹き、庚の前髪をはたはたと揺らした。
　無意識のうちに額に手をやっていた。綺麗な、なんの傷もない額に。