また、降ってきた｜リアクション

また、降ってきた

　突然の激しい雨。街灯の明かりが欲しくなるくらいの暗さの中、壬生由貴奈は明るく光る自分のマンションの玄関口に飛び込んだ。
「うひ～、濡れちゃったねぇ」
　ワンピースの裾を軽く絞ると、艶やかな床にぼたたと水滴が垂れた。このマンションは駅から５分圏内だというのにこの有様だ。雨を甘く見ていた。
　入り口のロックを解除し、エントランスに入る。外は叩くように降り続ける雨音でうるさいくらいだが、一歩中に入ってしまえばエレベータホールは嘘のようにシンとしている。由貴奈は髪から雫を滴らせながらエレベーターに乗り込んだ。
　そのまま真っ直ぐに最上階へ。廊下に出れば明かり取りの窓にもザバザバと雨が吹き付けている。その微かな音を耳にしながら、由貴奈は自宅のドアを開けた。
「はい、ただいまーっと……」
　玄関でがぽがぽになってしまった靴をどう脱ごうか躊躇する。俯いている間にも髪からぽたぽたとしずくが垂れた。
　由貴奈の髪から落ちたしずくが集まり、玄関に小さな水たまりを作る。それを由貴奈は靴を脱ぐ手を止め、ぼんやりと見つめる。雨。ずぶ濡れの自分。由貴奈の瞳が光も通さない真っ黒な雲に覆われた。

　『あの日』も、ひどい雨だった。走って家に辿り着いた時には、やっぱりずぶ濡れで。そしてドアを開けたうちは―――

「……あー、やめやめ！」
　大きな声でそう言うと、由貴奈はすっかりしぼんでしまった赤茶の髪をぷるぷると振る。勢いよく水滴が飛んだ。
「そんなこと思い出して何をしたいんだか、うちは」
　誰もいない家でひとりごちる。思い出したって過去は変えられない。『ただいま』に応えてくれる人はいなくても、うちは生きている。やるべきことは、これから二度と同じことを起こさせないようにすることと……。
「あったかいお風呂だね」
　由貴奈は真っ直ぐ前を見つめ、ふむと頷く。その瞳には光が戻っていた。
　ぽんぽんと靴を脱ぎ、家に上がる。濡れちゃった所は後で拭けばいい。風呂の全自動ボタンを押し、サニタリールームで濡れた服を勢いよく脱いで、洗濯機に放り込んだ。これも乾燥までのコースを選んでボタンをポン。昨今の家電は本当に働き者だ。
　バスルームの扉を開け、シャワーをちゃっちゃと頭からかぶる。きゅっと髪を絞ってから風呂の蓋を開けると、ほわりと室内に湯気が立ち上った。深めのバスにお湯は半分以上。うん、十分。
　足元から出続けるお湯は気にせずちゃぷんと浸かる。ほええと由貴奈の頬が緩んだ。
「あーごくらくー……」
　思いの外冷え切っていたようだ。体も心もあったまる。ずずずと寝そべるように体を滑らせれば、お湯の熱さが全身に染み渡った。
（シャワーだけじゃこうはいかないもんねぇ、やっぱりお風呂がなきゃ）
　お湯が満ちるまで由貴奈は温かさを堪能する。ほかほかになるまで浸かった由貴奈がバスタブから出た時には、湯煙の向こうにもそれと分かる程艶やかな肌がほんのりと淡く桃色に染まっていた。

　ふわふわのバスタオルで気持ち良く身体を拭くと、由貴奈は着替えてキッチンに向かった。いつも日課としているクッキー作りだ。
「今日は……プレーンとチョコ味にしようかな」
　何だか優しい味のものが食べたい。由貴奈は手際よく生地をこね、成形し、オーブンで焼き上げる。部屋中に甘い匂いが漂い始め、由貴奈はほっと一息ついた。
　後片付けをしている間にクッキーが焼き上がる。オーブンの扉を開けトレイを取り出せば。
「うん、上出来！」
　こんがりさくさくと焼き上がったクッキーは甘い匂いと共に由貴奈を誘う。由貴奈は片付けを中途半端に済ますと、お皿にぽいぽいとクッキーを載せ、おまけにも１つ口にぽいと放り込んでもぐもぐとリビングに向かった。
　テレビとゲームの電源を入れる。ソファにだらしなくもたれながらお気に入りのゲームをチョイス。また１つクッキーを口に放り込んで、由貴奈はコントローラーを操作し始めた。
　こんな日にはもう家でのんびりするのもいいだろう。だらだら過ごすのもまた楽しいものだ。

　由貴奈はクッキーを咥えながらゲームを続ける。降りしきる雨の冷たさは、ここまでは届かない。

このページにイラストを設定する

また、降ってきた

シナリオ

シナリオデータ

シナリオスケジュール

参加キャラクター一覧