また、降ってきた｜リアクション

また、降ってきた

　寝子ヶ浜海岸にある小さな階段の軒下に。靡く雨に包まれるように少女がいた。

　勢いよく降る雨が海に吸い込まれていく。白く煙る境界線。緩やかに波がうねり、空に広がる雨のカーテンが海全体に大きく靡く。天を厚く覆う黒い雲は、ゆっくりと寝子島を横切っていた。
　この自然の営みに溶け込むように、跡野茉莉はひっそりと佇んでいた。誰もいない海岸。激しい雨の音と波の音だけが周囲を包む。いつもとは全く違う顔を見せる海岸を、茉莉は静かにその黒い瞳に映していた。

　茉莉が寝子島に引っ越してきたのは高校進学の頃だ。彼女は地理を覚えるのを兼ね休日に散歩を始めたが、いつしかそれは習慣になっていった。
　狭いようで広い寝子島。お気に入りの場所が幾つか出来た。河津桜の並木道、寝子ヶ浜海岸……。
　海は好きだ。眺めていると、色々な思いが波に洗われるような、心が吸い込まれていくような、そんな気持ちになる。
　だからこの寝子ヶ浜海岸を、茉莉はよく訪れていた。

　砂浜に来ると、波打ち際を裸足で歩いてみたくなる。真冬にそっと試したら死の危険を感じるほど冷たくて、すぐに足を引っ込めた。寒い寒い空の下、慌てて靴下をはいたのを覚えている。
　けれども５月頃には、その冷たさは心地よさに変わる。その瞬間が好きだ。青が鮮やかになり始めた空の下、私はスカートの裾をたくし上げ、海に足首まで浸かるのだ。ぞぞぞと動く足の下の砂に、うずうずと心を擽られながら。
　自然が残る寝子ヶ浜海岸ではよーく目を凝らせば、小さなヤドカリ達が動いている。眩しい陽射しの下、ヤドカリの赤ちゃんがかわいくて屈み込んだらポチャンと音を立てスマホが水没した。
　そうそう、真夏には迷子の子を監視所に連れて行ってあげたりもしたな。必死に私の手を握るあの手の小ささ。お母さんに会えた時、本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

　波の音が。雨の音が。茉莉の心を心地よく濡らしていく。
　中学までは無愛想だからと無視されたり、苦労することも多かったけれど、寝子島に来てからは自然に接してもらえることが多くなった。
　ありのままの私でいい。固くなっていた私の心が、波に洗われるように、ゆらりゆらりと柔らかくなっていった。
　非力な自分を助けてくれる人が周囲にいる。そっと、寄り添ってくれる人がいる。それはなんと有り難いことだろう。
　浮かんでは消える思いを激しく降る雨と穏やかな波に託し、茉莉は灰色の海をその瞳に映していた。

　どれくらいそうしていただろうか。気が付けば、雨は小降りになっていた。茉莉はぱちぱちと大きく瞬きする。空を仰げば雲の色はずいぶん薄くなっていた。
　茉莉は静かに立ち上がった。穏やかになった雨音の中、パッと真新しいライトブルーの傘を差し開く。
　そして少女は柔らかなワンピースの裾を軽く揺らし、歩き出した。

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