＜零神探訪＞紅燈火街（レッドランタン・タウン）｜リアクション

＜零神探訪＞紅燈火街（レッドランタン・タウン）

●プロローグ

　空はおそらく曇っていた。
　“おそらく”。
　そう言わざるを得ないのは、この街では、空を感じることは難しいからだ。
　街を支配する色は、紅であった。真っ赤な中国提灯の色であった。提灯は南瓜に似た楕円形で、蓮の花や雲を模したような金の装飾が施されており、赤い房飾りが下がっている。火龍の鱗めいた緋瓦の屋根の家々、その軒先や通りの間に渡された吊るし紐に、高さを変えて幾重にも吊るされた赤い提灯によって、空というものの存在はこの街から消されていた。
　ここは中国のとある海沿いの街。
　近頃は、ガイドブックで見開きページを彩る程度には話題の観光地である。
　誰かがＳＮＳに『紅燈火街（レッドランタン・タウン）』と紹介したのがきっかけで、今では元々の街の名より、レッドランタン・タウンという通り名の方が有名になってしまったのだ――とは、二十を過ぎたばかりに見える女性ツアーガイドの弁。この街生まれだという彼女は、観光客相手に日々この話をしているのだろう。
　神薙焔――ホムラ、とはなんともこの街に相応しい名だ――は、頭上を見上げ、両の人差し指と親指で作ったフレームの中に赤の光景を切り取った。

「なかなか面白そうな所じゃない。街路一帯が真っ赤に染まって、あたしの髪の色みたいね」
　焔は、団体ツアーでこの街にやってきた観光客である。
　ツアーバッチを付け、旗を掲げた女性ガイドに付いてゆく。
　道幅５メートルほどの大通りは、レッドランタン・タウンを海側から内陸へ向かって東西に貫いており、その両側には屋台や露店が所狭しと軒を連ねている。
　そぞろ歩けば、溢れかえるすべてが、五感を強烈に刺激してくる。
　蒸し焼売の肉汁の匂い、火を噴く中華鍋の中で宙返りをする炒め料理の匂い、甘い焼き栗の匂い。
　軒に下がる赤や青や黒など色とりどりのチャイナドレス。
　音楽に合わせて揺れる蝶の玩具。パンダのぬいぐるみに、『福』の字を逆さにした菱形の赤紙。
　女や猿や妖怪を模した独特の隈取の京劇面たちは、赤ら顔や、緑や黄など鮮やかな色彩でこちらを睨む。
　喧噪。客寄せの鐘。油の跳ねるじゅうという音。
　人々は陽気で、この街の言葉で、やれ、寄っていきな、やれ、安くしとくよと賑やかな声を掛けてくる。
「なら、せっかくだからあたしは、この赤いチャイナドレスを選ぶぜ、なんちゃって」
　自分で言った古いゲームのネタに笑って、焔は太ももから腰に掛けて両サイドにスリットの入った動きやすい赤のチャイナドレスを買い求めた。店のご厚意で着替えさせてもらい、髪もいつものカチューシャではなくお団子に結ってもらう。
「中華風ファッションはこれでバッチリ、さあ、いろいろ見て回るわよ」
　ツアー客たちと一緒に、護身術としての中国武術の手ほどきを受けたあと、中華まんづくり体験もし、自分で作った肉まんに舌鼓も打った。旅の思い出作りに不足はない。
　街の中では時間の感覚が鈍くなった。ずっと黄昏時の世界にいるようだった。それでも雲の向こうで運行する太陽は理に則って西へ傾き、東から藍色の夜が忍んでくる刻となっていた。
　藍は紅を映えさせる。
　提灯の中で燃える蝋燭が、昼間よりさらに幻想的な揺らめく赤の世界を作り出す。
　うっとりと眺め歩いていたのがいけなかったのだろう。焔は自分が他の客とはぐれたことに気付いた。
「うーん、裏路地に迷い込んじゃったみたい。でもまあ、これはこれでいい観光になるわよ、きっと」
　このとき路地の奥から上がった絹を裂くような悲鳴が、焔の耳に届かなければ、或いは、この奇怪な冒険の物語に巻き込まれずに済んだかもしれないと思う。それともすべては定めであったのか。
「――む？　今の悲鳴は？」
　勇敢な焔は、悲鳴のした方へ駆けた。そこで見たものは――、
「提灯のお化けが、ひとを、襲ってる？」

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