神の森、寝子島｜リアクション

神の森、寝子島

　　　１

　中間試験が終わった週の土曜日のことであった。
　北里雅樹が猫鳴館で惰眠を貪っていると、どこか遠くからわーとかきゃーという叫び声が聞こえてきた。
　雅樹はそれを夢だと思った。というより、思い込もうとした。
　だが、身体の痛みに渋々目を開けざるを得なかった。
「……何でこんなになってんだ？」
　ぼーっとした頭の上に「？」マークを五つほど浮かべた。
　雅樹は、木の枝で寝ていた。かなり大きな枝だ。自分はいつキャンプに来たろう、と考えたのは三秒ほどのことだった。
「――俺の部屋、じゃないかっ！！」
　部屋の中を木の枝や蔓が縦横無尽に走りまくり、窓を割り、ドアを壊し、雅樹の身体を持ち上げていたのだ。
「まじか……」
　ちょっと覗いた限りでは、廊下もまともに歩けそうにない。ぎゃーっ、という声は、誰か階段から落ちたのかもしれなかった。
　雅樹は寸の間考え込み、すぐにジーパンとTシャツを掘り起こして着替えた。靴も予備の物を引っ張り出す。
　廊下は出られそうにない。意を決して、割れた窓から出ることにした。開けることも出来ないので、枠ごと壊し、枝や幹を伝ってどうにか猫鳴館の外に出る。ニ十分はかかったろうか。
「……何じゃこりゃ」
　変事は猫鳴館だけではなかった。その周囲だけでもない。見渡す限り、街中全てが緑に覆われている。おそらく、寝子島中が同じ状況だろう。
「一体、どうして……」
「雅樹？」
　茫然としている雅樹に、声を掛ける者があった。
　椎井莉鳥だ。
「椎井？　また随分……様になってるな」
　莉鳥は長袖シャツにジャージの上着を羽織り、ジーパンに踵の低いワークブーツを履いていた。更にキャップを被り軍手をはめ、首元にタオル、そしてリュックを背負っている。
「どこの探検隊だ？」
「九夜山、よ」
　からかったつもりが、即答だった。
　莉鳥もまた、目覚めたら自宅がジャングルになっていたという。すぐに状況確認し、下着のまま――で寝ていた――では動けないため、手早く身支度を整えて外に出た。
　そこでテオに逢った。
「元の寝子島に戻すには、九夜山のてっぺん近くに棲む、白い『神鹿』を探せ。そいつに神魂が影響を与えたのが、今回の現象の原因のようだ。神鹿に、森の中になっている木の実を腹いっぱいに食わせてやれば、満足して減少も収まるはずだ」
　そう言って、テオはシーサイドタウンの方へ去っていった。
「丸投げかよっ！！」
　この場にいないテオに、雅樹は突っ込んだ。
「何人かには声を掛けたみたい。それで動く人がどれだけいるか、分からないけど」
「んで？　お前は行くわけ？」
「もちろん」
　既に木の実をいくつももいで、リュックに詰めてある。
「でも、一人じゃちょっと面倒なのよ……ちょうどよかったわ」
　はいこれ、と莉鳥はコンビニ袋を雅樹に押し付けた。袋の中に更に何枚も入っている。
「俺にやれって？」
「そうよ」
「やだよ。九夜山に行くんだろ？　俺が高所恐怖症なの、お前知ってるだろ？」
「それじゃ、この状況が直るまで、ぼーっとしているの？」
　雅樹は緑に覆われた猫鳴館を見上げた。誰かが何とかしてくれるのを待つ、というのも一つの選択肢だろう。だがそれが知り合いで、元カノで、となれば見て見ぬふりをするわけにはいかない。明日から、どんな顔をして会えばいいのだ？
「……仕方ないな」
　嘆息した雅樹に、莉鳥は眉一つ動かすことなく、
「行くわよ」
と言って、目の前の蔓をナイフでばっさりと払った。

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