ぼくのわたしの好きな時間｜リアクション

ぼくのわたしの好きな時間

　３年生になった大天使天吏には、《好きにならなくてはいけないこと》がある。
　それは――『学校と、そこに集まる教師と生徒』を好きになること、だ。
（あの猫の手下どもの裏をかくためにも、全てを知ることを好きにならないといけない）
　そんな思いを胸に、天吏は放課後の寝子高を巡る。そして、
（名前、顔立ち……忘れないようにしないと）
　廊下を行く者、或いは友人同士談笑する者達……。
　彼らの顔立ちを、天吏は灰色の眼差しの端に見留め、なんとなく覚え、名前と一致させていく。
（……そう、わたしはこの顔ぶれを好きであってならないといけない）
　好き、好き、好き、大好き。
　天吏は、自分の中にその言葉を染み込ませるように、何度も何度も反芻させる。
　――私は、少し感情を表に出すのが苦手な先輩。
　――みんなの事が大好き。
　――だから、この学校も大好き。
　自分に思い込ませながら、天吏は、図書室と屋上以外の場所を散策し終え、今日も学校を後にした。
　ふと見上げた空を、鳥の影が飛んでいく。
　空を眺める。山の方へと帰っていく鳥を見遣る。ああ――、
（――大好き）
　まだあの黒い翼がはためいているかもしれない、と思うから。
　目を閉じれば、黒い羽根が軽やかに美しく舞う様子が、ありありと瞼の裏に見えるような気がした。
　そして、帰路に着く途中のこと。
　天吏は、はたと足を止めて、「あら」と口元に端正な笑みを形作った。
　道の端に、道行く人々を楽しそうに眺める、ミラの姿を見つけたのだ。
　天吏は微笑をかんばせに湛えたまま、ミラの元へとそっと歩み寄った。
「あなたは、この間の不思議な騒動で出会った猫さんね」
　しゃがみ込めば、ぱっと、ミラが顔を上げる。
『はっ。先日は、大変失礼いたしました。……その、ええと……』
「私の名前は大天使天吏。てんりでいいわ」
　優しい声音で名乗れば、ミラは嬉しげに、『天吏さんですね』と青の目を細めた。
　綺麗に作った笑顔の底で、天吏は思考する。
　――弟の学年にいるという、人間体のクローネ様そっくりの先生。
　――突然クローネ様が引き起こした事象と同規模のフツウへの介入能力。
　――未来は、確実に動いている。ならば。
（私は過去を向こう、ひとつでもいいから手掛かりを見つけよう）
　殊更ににっこりとして、天吏は甘やかにミラへ声を投げた。
「あのね、私、テオと学校の皆が大好きなの」
『まあ！　テオさまったら、寝子島の皆さまともうすっかり仲良しなのですね』
「そう、それで私、テオくんがよく寝ている場所とかも教えてあげられるかもしれないって。だから――」
　お友達になりましょう？　と、天吏は軽く首を傾げてみせる。
　ミラの瞳が、きらと輝いた。
『勿論！　勿論ですっ！　お友達だなんて、私、とっても嬉しい！』
　頭に響く声に応じるように、口元を綻ばせる天吏。
（これで、一歩）
　過去を目指して、天吏は、着実にその歩みを進めていく――。