ひとしきり屋敷を探検して回り、再び広間に戻ってきた鴻上 彰尋と獅子目 悠月は手近なソファに腰を掛けて、温かな紅茶と共につかの間の休息を楽しんでいた。休息、と言っても目に映る景色のすべてが興味深過ぎて、彰尋の眼差しは右に左にとせわしなく動いていたのだけれど。
　こうして見回してみてもさほど広い感じはしないのに、いざ見て回るとなるといったいすべてを見終わるのはいつになるのだろうと感じるほど、屋敷は果てしなかった。こういう場所には慣れている悠月ですらそう感じたのだから、彰尋にしてみればなおさらだろう。
　不思議と言えば、広間にずっと流れている音楽もまた不思議。さほど大きな音量ではないのに、どこに行っても同じ大きさで響いてくるのは何か、不思議な力か特別な機材でもあるのだろうか。
　そんなことを考えながらこくり、紅茶を飲む。飲みながらふと、今流れている曲はなんとなく知ってるな、と彰浩は気付いて視線を巡らせた。
　三寮祭で仮面舞踏会があった時、諸々の事情で踊る練習をしたメロディ。そうと気付いて広間を見回せば、見知らぬ男女が輪になって、見慣れたダンスを踊っていて。
　逆に何だか不思議だなぁ、と思っていたら不意に悠月が、ぐいと彰尋の手を引いた。

「ひとまず満足したなら一曲付き合え」
「へ？」

　そうして唐突な誘いに戸惑う彰尋の手を引いて、悠月は問答無用で踊る人々の輪の中に入っていく。もちろん、ぶつかったり邪魔するような無粋はしない。
　こうして音楽が流れているのに、じっと眺めているだけというのは正直なところ、悠月の性には合わなかった。といってこれは男女で踊るダンスだから、1人で輪に入るなんてのは論外だ。
　ならばここに居る彰尋を相手にダンスを踊るのが目下、ベストの選択。

「お前も、こういう雰囲気で踊るのは何かの役に立つかもしれないぞ」
「役に立つ……かなぁ……？」

　にッ、と笑って言われた言葉に、果たしてどんな時に役に立つだろうか、と彰浩はつい真剣に考えた。そもそも、こんな体験がもう1度あるかどうかすら不明なのだけれど。
　そんなことを考えながら、でもそうなのかもしれないな、と思い直して少し前に練習したステップを思い出す。あの時にはどうにか、靴を踏まない程度には上手く踊れるようになっていたと思いたいけれど。
　一生懸命に踊りながら、悠月君はどうなんだろう、と視線を向ける。それに気が付いて、ん？　と笑う彼はさすがというか、足取りも慣れた様子で優雅だし、何と言うか貫禄のような感じがあった。
　実のところ、悠月はダンスに慣れていないだろう彰尋を、女性パートでさりげなくリードしながら踊っていたりした。それどころか流れる音楽に合わせて、メロディを口ずさむ余裕すらあったりする。
　それはどちらかと言えば、悠月がダンスに慣れ親しんでいるからという以上に、音楽に合わせて踊るのが楽しいから、だろう。知らず知らずに上機嫌で、歌っているのはきっと、だから。
　ゆえに悠月は楽しげに、まだどこか動きの固い彰尋へ、からかうように笑って見せる。

「中々うまいじゃないか。誰か誘いたい相手がいて練習でもしたか？」
「そ……！　れは、その、何と言うか……」

　そんな悠月の言葉に、彰尋はわたわたと否定しかけて、そのままもごもごと口ごもった。いやまあ、練習した理由は確かにその通りだったりするのだけれど。

　もしかして彼には自分の誘いたい子がバレてるんじゃないかと、ひやひやして表情を探ってみたけれど、生憎よく解らなかった。それにまた、どうなんだろう、とやきもきする。
　――とはいえ。

「悠月君、こうしたらいいとかあったら教えてくれないかな」

　折角だからこの機会にうまく踊れるようになりたいと、頼むと意外だったのだろうか、悠月の瞳が猫のように大きく見開かれた。けれどもそれは一瞬のことで、次の瞬間には「ふぅん」と面白そうな笑みを浮かべ。
　にやり、笑った。

「じゃあ特訓だな」
「う……お手柔らかにお願いします……」

　それにまた焦りを覚えながら、頑張ろうと決意する彰尋や、他の人々の踊る様子を見ていると、何だか面白そうだと薄野 五月も興味を覚える。もちろんああいった、映画で見たような舞踊会で皆が踊っているようなダンスは出来ないけれど、手を繋いでくるくると回るくらいなら出来るのではなかろうか。
　何しろせっかくドレスを着ているのだし、こんな機会でもなければそうそうダンスなんて踊ることもない。何より、夢みたいな不思議な時間だからこそ、踊ってみたいと心惹かれたりもする。

「というわけで華菜子さん、踊ってみませんか？」
「うん、踊ろう！！　五月ちゃん、お手をどうぞ」

　ゆえに誘った五月に、誘われた畑中 華菜子は迷うことなく、力強く頷いた。もちろん彼女とてダンスの経験はないけれど、雰囲気でぐるぐる回ったり、音楽に合わせて身体を動かすのは楽しそうだ。
　何しろ今の華菜子はお洒落にドレスアップして、あたかもお嬢様のような風情。それだけでとにかくワクワクして、そわそわして、とびきり嬉しくなってしまう。

（このドレス、とっても素敵アルナ）

　ちょっと大人っぽいドレスに、まるで自分自身も大人になったような気分がして、また華菜子はくすぐったく笑った。行こう、と五月と手を繋いで踊る人々の中にするりと交じり、優雅な音楽に合わせて動き出す。
　揺れるように、回るように。くるり、くるりと。ひらり、ひらりと――
　動きに合わせてふわりと揺れる、ドレスに華菜子が目を細めた。

「五月ちゃん、クールな印象だけど赤もよく似合うアル」
「そうですか？　華菜子さんもその色合い、お似合いですよ」
「ありがとう！　私はいつも赤ばかり着てるけど、この色も好きアル」

　とっておきの秘密を告白するかのように、互いに囁き合ってくすくす笑う。もしかしたら今日の事は不思議な夢で、何もかも忘れてしまうのかも知れないけれど、こうして五月と、皆と楽しい時間を過ごしたことは忘れないで居たいな、と願う。
　ふと、楽しげにこちらを見つめる視線に気が付いて、おや、と華菜子は笑いかけた。

「一緒に踊らないアルか？」
「いえ、私は……ここで、見ている方が楽しいので」

　そんな華菜子の誘いに青山 絢は、けれども軽く手を振ってそう応える。それは遠慮や気後れではなく、心からの本音。
　そうして絢が楽しげにまた眺めだしたのは、踊る人々が身に着けている色とりどりのドレスだ。様々な色や形、デザインのドレスをこんなにたくさん見ることなんて、そうそうあるものではない。
　だから見ているだけでも目の保養になるし、案外楽しく仕方がない絢である。

（この空間はきっと、神魂現象の見せる束の間の夢なのかもしれないけれど）

　それならそれでこの機会を楽しもうと、絢は様々なドレスの踊る様を楽しく見つめていた。自分自身のドレスは何と言うか、やっぱりよく解らないので。
　くるり、くるりと広間のあちこちで、まるで花のようにドレスが綻ぶ。
　ひらり、ひらりと広間のあちこちで、まるで蝶のようにドレスが舞う――



「……え？」

　ふいに夢から覚めた人のように、絢は呆然と立ち尽くしている自分に気が付いた。きょろ、と慌てて確かめるように辺りを見回してみても、そこはいつもと何も変わらない、家の近所の道だ。
　何だろう、不思議なことがあった気がする。不思議な、楽しい出来事が。
　そんな風に思いながら、眼差しを下ろせば目に入ってくるのはもちろん、ドレスではなくて普段着の自分。それが当たり前なのに、なぜだか失望感を感じる。
　変ね、と首を傾げながら絢は再び歩き出した。不思議と足にまとわりつく、ストッキングの感触を感じながら。