猫鳴館、自治会長選任戦1370春　～天使の羽選手権｜リアクション

猫鳴館、自治会長選任戦1370春　～天使の羽選手権

●候補者たちの準備：朱蘭編

　さて、立候補者のひとり、酒浸朱蘭は、水の入った瓢箪を見つめ、ふるふると震えていた。
「自治会長選に立候補したぜー！　同じ立候補した二人は何方も個性の塊だからあたしも頑張らないと……」
　瓢箪の中身は水。けれど、朱蘭にとっては命の酒。酒屋兼居酒屋の娘で酒に興味がありながらも、酒に弱かった朱蘭が授かったろっこんは、彼女の望みを叶えるものだった。すなわち、ろっこんを掛けた容器の中の液体を飲むと朱蘭が一生体験できないかと思っていた『酔う』ことが出来るようになるというもの。朱蘭は日々それで酔っぱらっていた。
「分かってる。今回ばかりは、本気で挑まなきゃ絶対勝てない。当日は酔いも封印するか……」
「後輩、いつまで瓢箪と睨めっこしてる？」
　両手に羽箒や羽ペンなど羽が付いてるものを抱えた青野海仔が、足で戸を開け入ってくる。
「あっ、海仔先輩！　来てくれて嬉しいんだぜー！」
「美術部員である先輩に手伝ってほしい、と可愛い後輩に頼み込まれては断れない」
「へへっ、偶然会えてラッキーだったんだぜ」
　朱蘭は鼻の下をこする。
　海仔は素材を机の上に置くと、海色の長い髪を耳に掛けて朱蘭を見た。
「それで？　どんなふうにしたい？　希望はあるか？」
　クールな面差しながらも仕事はしっかりするぞ、という先輩の姿勢に、朱蘭はぐいと身を乗り出す。
「滑空しやすい大きな翼に、翼の色で黒猫の絵って感じのデザインを希望するぜ」
　すると海仔は二つ返事で答える。
「わかった。早速取り掛かろう」
　そこからの海仔の獅子奮迅ぶりといったら。
　ぱっとデザイン画を作り、朱蘭に指示して羽根を組み立ててゆく。その指示がまた的確で、朱蘭が言われるまま右へ左へ動いているうちに、気付けば立派な羽根が完成していた。
「黒猫、といったな」
　そう言ってマジックのキャップをはずすや、きゅきゅっと旧市街でよく見かける黒っぽい猫を描き上げる。
「こんなものか」
「すっごいな！　神業！」
　朱蘭はその出来に、飛びあがって大絶賛だ。
　こんなに喜んでもらえると、あまり表情をあらわにしない海仔も、悪い気はしない。
「怪我だけは気を付けて飛ぶのだな、後輩」
「もちろんだぜ。ありがとう先輩！」

◇

　羽根作りと並行して行われたのは、寝子島飛行部に所属する雨崎荒太郎による飛行訓練だ。
　当日ぶっつけ本番よりは、感覚だけでも掴んでおけば当日うまくいくのではないかという目論見である。
　朱蘭は、何度も穴が開いてその都度補修されてきた猫鳴館のおんぼろ屋根の上にいた。
「てれーてー、てれーてー♪」
　猫鳴館の座敷童子の異名を恣にする荒太郎は、座敷ファンファーレを歌って朱蘭を鼓舞する。
「お酒ぬき、鬼の特訓だよー」
「押忍！」
　朱蘭の顔は緊張でこわばっていた。なにしろ、空飛ぶろっこんで飛行に慣れている荒太郎と違って、我が身ひとつで空を飛ぶなんてのは人生における一大事なのである。
「飛び立つ時にはコツがいりましてー。できるだけ遠くを見つめて、バランスを手のうんと先に感じながらー」
「遠くを見つめて、バランスを手の先に……」
「ぐっと地面を足で蹴るがんすー。そうそうぼくごと踏み台にするみたいにっ」
　荒太郎はしゃがみ込んで、朱蘭の太ももを抑えた。
「って、どこ触ってるんだぜ！」
「いやぁその、けっしておみ脚の誘惑にかられたわけでは……わけでは！」
「この、エロ童子！」
　おもわず朱蘭は荒太郎を蹴り飛ばした。
「エロ童子じゃないよー、がんす！」
　そんなこんなですったもんだしつつも、特訓は続く！

このページにイラストを設定する