猫鳴館、自治会長選任戦1370春　～天使の羽選手権｜リアクション

猫鳴館、自治会長選任戦1370春　～天使の羽選手権

●天使の羽選手権「朱蘭、飛びます！」

　この日、酒断ちをした朱蘭の様子は朝から違っていた。
　冷水で顔を洗い、長い栗色の髪を後ろで一本の三つ編みにまとめる。
　衣装は体にフィットしたジャンプスーツ。
　鏡の中の自分は、いつもの酔いどれな気配を消し、きりりと引き締まった表情をしている。
「よし。行きますよ」
　今日は本気で行く。口調も酔いがなくなって、しっかりしてですます口調だ。
　普段を知る人が見れば、まるで別人のようだと思うだろう。
　しかしもしかすると、こちらが朱蘭の素なのかもしれない。

「私が自治会長になったら」
　修に向けられたマイクに向かって、朱蘭はしっかりとした口調で所信表明をした。
「毎日宴会で楽しくしながら、古い家具とか修繕したりとかしたいと思ってます」
　毎日楽しく、は猫鳴館生のモットーのようなものだ。いいぞ～頑張れ～と歓声が上がる。
　見回すと、猫館生に交じってシートに座り、体育座りで膝に顔を預け、のんびりと見守っている青野海仔の顔を見つけた。向こうも目が合ったのがわかったようで、がんばれ、と音なく口を動かして、小さく手を振ってくる。なんとなく気持ちが落ち着いた。
　朱蘭は羽根飾りで本物の鳥の羽根のように見立てた大ぶりの羽根を背負い、崖っぷちに立つ。
　一陣の風が、三つ編みに結った髪を大きく揺らした。
「朱蘭、飛びます！」
　朱蘭は荒太郎に教えられた通り手を広げると、遠くを見つめて、バランスを手の先に感じながら、ぐっと地面を足で蹴った。
　ふわっと身体が宙に浮いた。
　下から受ける力を感じ、翼が風を捉えたのが分かった。
　遠くを見つめる。
（狙うは完走！）
　１００メートル向こうの岸を見つめる。
　ドローンが並走し、羽根の下面に描かれた黒猫を、それから朱蘭の凛々しい横顔を捉える。
「がんばれー、朱蘭ちゃん！」
　モニターで観戦していた荒太郎も手に汗握って応援する。
　朱蘭の飛距離が、簾やサキリに迫ってきた。しかし、高度が下がっても来ている。
「いけいけいけーっ！」
「耐えろ、後輩……！」
　声援を受け、歯を食いしばる。あともうちょっと！　完走は無理でも、あともう一メートルだけ！
　次の瞬間、目の前が水飛沫で煙った。
　ジャンプスーツの中に水が入ってくるのを感じる。
　朱蘭はアヒルさん号に救い上げられた。
「お疲れさま。５３メートル、新記録よ」と碧南の声。
「そうですか。……あっ、羽根は？」
　せっかく海仔に手伝って貰って作った羽根だ。沈んでしまったら悲しい。そのとき隣のカモさん号から網が放たれ、夏夜が羽根を回収してくれた。
「ありがとうございます！」

◇

「朱蘭ちゃんの大フライトでしたなのー。さて、デザイン点はー？」
　泉先生が９、茂が９、鳶色彦が８。
「泉先生、どうでしたかなの」
「大ぶりの翼に羽根をあれだけ綺麗に張り付けたのは素晴らしい。黒猫の絵もよかった」

　修はまだボードに点数を書きこまない。３人の候補者が全員跳び終えてからだ。