深夜激走！　寝子島仮装マラソン大会｜リアクション

深夜激走！　寝子島仮装マラソン大会

「……まさか、のばら、さん」
ぎくりと牡丹の肩が跳ねた気がした。志波拓郎だった。
「違うわァ。私は牡丹！　牡丹なのよ！」

「……なら、牡丹さん。……今の、見て、いたんだ。正々堂々、走ろう」
拓郎の目はごまかせなかった。牡丹はきっと唇を噛む。
「ど、どうしたの？　何、今の……？」
拓郎とペアで走る、高梨彩葉も顔色を変える。牡丹は無言で二人を見た。
「……からないのよ」
「なに？」
「フフフ……ククク……生者にはわからないのよ。この妬ましさ……私だって、人並みに、楽しみたかったのよッ！」
繊維の引き裂かれる小さな音がした。端切れと化した布地がはためき、彩葉のジャケットの袖が片方切り飛ばされていた。
「きゃっ……！」
腕が傷つかなかったのが幸いだ。牡丹は恨めしげにこちらを見ていた。
「牡丹さん……!?　やりすぎだ！」
鉄扇を持つ手首を拓郎がつかもうとする。牡丹は伸びてきた拓郎の手首を逆につかみ返すと、引き倒すようにして極めてしまった。
「私がいられる時間は短いの。まだ、短いの……やりたいことやって何が悪いの!?」
「ぐっ……な、何、言ってるんだ、牡丹さん……」

（やめて！）
目の奥でまばゆい光がひらめく。そのひらめきはごうごうという痛みとなって、ただいま顕在している『牡丹』を襲った。
（お願い、傷つけないで！）
「うう……ッ！　こんなところで邪魔をするの！　のばらッ！」
罪ゆえに『添木牡丹』として生きることを決意した表人格と、罪を振りかざし『添木牡丹』を取り返そうとする裏人格。『牡丹』をめぐって二つの人格はせめぎあい、心の中に嵐を生む。牡丹は鉄扇も拓郎も投げ出し、頭を抱えてうずくまった。その体は痙攣するように震えている。

「どうしたんですか！　一体これは……!?」
　昏倒する牡丹に救護班が駆け寄る。拓郎は無力となった彼女を救護班に預け、素肌を懸命に隠そうとしている彩葉に駆け寄った。
「けがはないよ、私は大丈夫」
衣装を切り裂かれているが、これで失格と言うことはないだろう。傷も見当たらない。
「グッナイたー坊☆　そんなところでうずくまってて寝てるんじゃなぁいすろーりーじゃなぁい～？」
こんな時に、と腹が立つ。通りがかった兄、志波武道が思い切り煽ってきていた。何があったかも知らないで、と拓郎は思うが言葉を返すことはできなかった。睨むように見返すと、兄は言葉とは裏腹に、冷たいほど真剣な目をしていた。

「……スタジアム前で待つ。最後のトラック一周、付き合ってくれ」
その一言で、拓郎は兄の真意を理解した。
（でも、今は高梨さんが一緒にいる。置いていくわけには……）
迷う拓郎の決断を後押ししたのはその彩葉だった。表情は決意に満ちている。

「……我が邪気眼が、あなたを導く！　だから、先に行って！」
それは、漫画『邪気眼を凝らせば……』の名ゼリフだった。彩葉は拓郎を理解してくれている。だからこその、このセリフだった。拓郎はうなずくと、彩葉を落ち着かせるために、コートを脱いで着せ掛けた。
「……必ず、迎えに来る。――心の枷今解き放たん。我は疾風」
全『邪気こら』ファンが涙したという決戦前のシーンを再現する拓郎。彼は身軽になった姿で、兄との約束、再戦を果たすため、一人ゴールへの道を目指すのだった。
　彩葉は拓郎のぬくもりが残るコートを、ぎゅっと抱きしめる。それから袖を通して、長すぎる腕をまくった。
「よっし……私は自分のペースで、完走を目指すよ」