深夜激走！　寝子島仮装マラソン大会｜リアクション

深夜激走！　寝子島仮装マラソン大会

　闇夜にひた走るは、妖狐。添木牡丹の仮装はセクシーな女狐をイメージしたものだった。おっとり、時にはおどおどとした様子も見られる普段の彼女と、今の彼女の雰囲気はあまりにも違う。人々が『牡丹』として知る彼女は――より正確に言うならば、彼女の人格は、今ここにはない。その証として、斜にかぶった白い狐面の下の右の瞳は血のような赤に染まっていた。二つの魂が宿り、せめぎあう『牡丹』の体。その一つは生者のもの、もう一つは命を失い、悪霊と化したもの。今彼女は、悪霊に体を支配されている状態だった。

「アハハ……フフフ」
『牡丹』が走るたび、狂気を感じさせる高い笑い声が漏れる。ふわふわと揺れるファー飾り、狐の耳を思わせる頭の大きなリボン、胸元と太もものきわどいラインで踏みとどまる、露出の多いミニ丈の着物風ドレス。笑いもまたキャラクター作りの一環、仮装を盛り上げるエッセンスとして人々は見た。彼女が狂気に支配され、心からの笑いを発していることに気づく者はない。
「アハッ★　最近は調子がいいわ……まさかこんな時に私が目覚めるなんて、ね……？」
心の中で声がする、気がした。『牡丹』は聞こえないふりをする。
「さすがにこんな大勢の前で、誰かを傷つけるなんてできない……なんて、思ってるゥ？」
頭の中で悲鳴が上がったように感じた。『牡丹』はそれを無視した。
「まあ、それは最終手段だけどね……アハハハ！」
この体は自分のものだ。自分だけのものなのだ！　牡丹はトップアスリートもかくやというほどのスピードで走り出す。加速、さらに加速。観衆の驚きや賞賛、時々閃光となって辺りを照らすフラッシュを浴びて牡丹は走る。牡丹と、裏人格『のばら』……二人だけが知る真実。今体を乗っ取っているこの悪霊こそが真の『牡丹』、すべてを取り戻すためには手段を選ばない恐るべき存在なのだった。

　走っても走っても、牡丹のスピードは衰えを知らない。今夜も彼女は貪欲だった。欲しいものは、この体。そして一位という成績だ。
「ウフフ……ドジなあの子のせいでいろいろ抑えてたけど……この体は鍛えてあるんだから、ね。一番だって狙えるわ」
たちまち牡丹は先頭集団の一員となった。アスリート集団の中に妖狐が飛び込む。目にも楽しいランナー陣のバリエーションに、観客がわっと湧く。場の興奮を聞きつけてか、中継車は再びレースの先頭へと迫ってきた。牡丹はこのイベントが仮装マラソンであることを忘れていない。カメラがこちらに向けられるや、鮮やかな紋様渦巻く扇子を開き、妖艶な自身の魅力を最大限にアピールするポーズをとって見せた。
「ふふふ。私の艶姿、目に毒かしら？　怖い者知らずの子はこっちにいらっしゃい……」
思わせぶりに手招いてみせる。
「この女狐牡丹ちゃんが、あなたの骨までしゃぶりつくして遊んであ・げ・る……！　キャハハハ！」
カメラは牡丹の『迫真の演技』を大写しにした。

　牡丹の目が妖しく光る。一向に脱落する様子のない先頭集団を邪魔に感じ始めた彼女は、扇子をひらりと取り出した。アピールの時に使ったそれは、ただの小道具などではない。巧妙にカムフラージュしてはいるが、紛れもなく堅く冷たい鉄の親骨を持つ武器、鉄扇であった。開いた扇のエッジはカミソリのように鋭く光っている。
「フフフ、そろそろ……やっちゃおうかしら」
「うわっ！」
「キャーッ！」
追い抜きざまに、鉄扇を振る。色とりどりの衣装がたちまち切り裂かれていった。半裸同然になってしまった女性ランナーが泣き叫ぶ。
「アハハ★　これで失格ね。脱いだら失格、それがルールでしょ……脱がせたら違反だなんて聞いてない。殺さないだけありがたいと思ってほしいわ」