バードウォッチング｜リアクション

バードウォッチング

　三宅葉月は本日もスケッチブックと７２色の色鉛筆を携えて、九夜山へスケッチへ向かっていた。
　ゆっくりとした足取りで向かっていると、その道すがら様々な人とすれ違う。
　最近はナナイロツバメを始めとして幾つかの珍鳥が飛来しているとの事で、葉月は普段より多くの人がこの九夜山を訪れている印象を受けていた。

「この前より、少し湿度が上がったかも……」

　ぽかぽかとした陽気な天候。季節は春ではあるが、そろそろ初夏へと移ろう時期でもある。
　葉月はゆっくりと登山道を歩きながら、深い翡翠色の瞳を周囲に向ける。

　春らしい雰囲気を持った九夜山の緑は、もうじき夏へと向けてその色合いを濃くしていく事だろう。
　僅かずつではあるが、夏の足音が聞こえ始めていると葉月は思った。

「春が過ぎ去り、夏が来ようしているわね」

　そんな風に呟き、何かに誘われるように山を登っていく。これはいつもの事であった。
　時折目についたものを子細に観察しては軽くさらりとスケッチブックに描きとめるのも含めて。

「……あら？」
「おや、三宅さん」

　ふとスケッチブックから顔を上げてみるとそこには健の姿が目に入った。
　どうやら健は他に何人かと一緒に来ているようで、直ぐ近くには同行者と思わしき人達がいた。

「こんにちは」
「ええ、こんにちは」
「三宅さんは……スケッチかな？」

　健が葉月の持っているスケッチに目を向けてそう言う。
　同じ学校の生徒である健には、自らがスケッチをする事は最初から知られているし、そもそも特に隠す事でもない。葉月はその問いに頷いて返事をする。

「そうよ。九夜山には良くスケッチをしに来るのよ」
「へぇ。三宅さんのスケッチは前に見せて貰った事があるけど、中々素敵だったね」
「そう？」
「うん、そうさ。もし良かったら今度、この山でのスケッチも見せて貰えないかな？」

　そんな風に言われるのはそうある事ではないらしく、葉月は少し不思議そうな表情をしたがそれも一瞬の事。直ぐに元のアンニュイな表情に戻ると、少し迷う素振りを見せたものの頷く。

「おっと、スケッチの邪魔をしたら悪いから俺はそろそろ行くよ。じゃあ、また」
「ええ」

　葉月と健はお互いに挨拶を交わし、別れる。そして、葉月は再びゆっくりと気ままに山を歩いて行く。
　今度は特にスケッチはせずにそこにある景色を記憶の中に焼き付けていく。葉月は後でその印象を絵にするつもりであった。

「ん。あれは……？」

　葉月が九夜山の景色を見渡していると、一羽の鳥の姿が目に入る。
　全体的に白く、尾羽の方が黒い。それはコウノトリであった。

「コウノトリ……。聞いてはいたけど、本当にいるなんて」

　コウノトリは葉月に気付いているようであったが、未だ同じ場所から動かない。
　葉月は暫くコウノトリを見つめて、その姿をしっかりと覚える。彼女はコウノトリもまた後でスケッチをする事にしたようだ。

「一体、この鳥達は何故この島に……ッ!?」

　虹の帯が葉月の目の前を横切る。一体、何だとばかりに視線を彷徨わせてその虹の帯の行方を追った。
　すると、虹の帯は翼を広げて一本の木の枝へと止まる。

　葉月が虹の帯だと思ったものは、実は鳥であった。
　先程のコウノトリに比べれば大分小さい。しかし、まるでこの世のものとは言えない程の美しさを感じた。
　この鳥こそが、今噂になっているナナイロツバメであった。

　スケッチブックがその手から落ちそうになっているが、しかし、葉月はそれに気付く事はない。
　それどころか、まるで呼吸さえ忘れてしまったのではないかと思えるような様子でナナイロツバメを見つめている。

　いや、より正確に言えば見惚れていると言った方が良いかもしれない。
　葉月が気を取り直して、ナナイロツバメのスケッチを開始するには、今暫くの時間が必要そうであった。

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