誰でもない誰かへの変身｜リアクション

誰でもない誰かへの変身

　休日のシーサイドタウンにて、羽生碧南はその男に「もし」と声を掛けられた。
　ゴシック調の衣装に身を包んだ、年齢不詳の男……。
（って、どう考えても怪しい！）
　思わず一歩後ずさる碧南だったが――ふと、あることに気付く。
（でもこの人、『カレイドロンド』のルキティスにちょーっとだけ似てるかも……）
　なお、『カレイドロンド』は乙女ゲームの名前、ルキティスはそのゲームの攻略対象である。
　碧南は、目の前の男と同じく年齢不詳の、冷酷な吸血鬼のことを思い出した。
（本当はヒロインのことをすごく大切に思ってるのよね。それで、舞踏会の夜に……）
「ええと……お嬢さん？」
　ハッと我に返る碧南。
「な、何？　舞踏会の時間！？」
「舞踏会？　いや、我は……」
　そうして、かくかくしかじかと語られる男の話に、碧南はとりあえず耳を傾けた。そして。
「え？　自分以外の誰かになれるの？」
　と、瞳をぱちぱちと瞬かせる。
　ちょっと、簡単には信じられない。
　いや、ここ寝子島ならばそういう不可思議も起こり得そうだが、一先ずは半信半疑だ。
（だけど、興味はある……かも）
　先日、乙女ゲームの攻略対象そっくりの男子に変身した実績（？）を持つ碧南。
　もし目の前の男の話が真実なら、今度は同性に変身してみたい！　なんて思う。
　碧南は、身長１８０ｃｍの高身長女子だ。
　バスケをするには向いているけれど、着たい服のサイズが合わない、という悩みがある。
　すらりとしたモデル体型の碧南だけれど、心惹かれるのは可愛らしい服なのだ。
（あと２０ｃｍは背が低くないと、そういうのは着られないのよね……）
　それに、である。
（乙女ゲーのヒロインも大体それくらいの身長で、壁ドンとかのシチュエーションも……）
　以下の妄想は、略。
　ともあれ、少し考えた末に、碧南は男へとこう宣言した。
「身長１６０センチくらいのとびきりの美少女になりたい！」
　承知した、と零した男の口元が弧を描く。
　そして――次の瞬間には、碧南の目線の高さは本当に変わっていた。
「きゃ、服も変わってる！　可愛い……！」
「かんばせも、元々愛らしかったがこれでどうだろうか？」
　差し出された手鏡を覗いて、碧南は思わず口元を押さえる。
　まるで本当に乙女ゲームのヒロインになったみたいだと、感激してしまって。
　わくわくと弾む心を引き連れて、碧南は早速アウトレットへと向かうことにした。
「これも！　それに、こっちだって似合う！」
　あれもこれもと、碧南はキュンときた服を手にとっては試着する。
　但し、購入のことは考えないようにした。
（だって、お金がないし、買っても、きっと無駄になっちゃうし……）
　そうは思うものの……やっぱり、折角だから一着くらいは欲しい！
　厳選に厳選を重ねて、碧南は「これぞ！」という１枚を選び取った。
　柔らかなピンク色の、大きな襟がついたシフォンワンピース。
　上品な花柄と愛らしい色合いとの組み合わせ、そしてふんわりとした素材感が絶妙だ。
　購入したワンピースに早速着替えて、碧南は街へと繰り出す。
「ねえ、そこの君」
　なんて声を掛けられたりもしたが、
「彼がすぐそこで待ってるから……」
　と、碧南はナンパ男からの誘いをさっぱりと受け流した。
　ちなみに、イメージした『彼』は先日クリアした乙女ゲームの攻略対象である。そして。
「……あ、そうだ」
　街角で、碧南は思いつきにふと足を止める。
「自撮りもしとかなきゃ。うん、記念記念」
　パシャリとした１枚は、乙女ゲームのヒロインの可憐な姿を映し取ったかのようだった。