誰でもない誰かへの変身｜リアクション

誰でもない誰かへの変身

　男の話を聞いた桜庭円の瞳は、好奇心に、ぴっかぴっかに輝きっぱなしだ。
「ふーん！　ふーん！　ね、おじさんの名前は？」
「すまぬが、我に名はない。我もまた《誰でもない》のだ」
　男が申し訳なさそうに苦笑するのに「そっかぁ」と応じて、円は男の願いを叶えるべく頭を捻った。
「じゃぁ、うーんとね……髪が、こう、こういう感じのロングヘアーで」
「ふむ」
「可愛くてスタイルが良くて！　背が高くて落ち着いた感じの女の子になりたい！」
　目指せ、素敵なおねーさま！　ということで、円は瞬き一つの間に大変身！
「え？　え？　ねえ、ボクもう変身してる？」
　頷いて、男が手鏡を取り出す。
　それを覗き込めば――そこに映っていたのは、円が想像した通りの素敵女子だった。
　髪や双眸の色は常と変わらないが、イメージは随分違う。
「これは、イケてますねぇ……」
「お気に召されたか？」
「バッチシだよ！　だっておじさん、これ、似合ってるでしょ？」
「うむ。まあ、元より貴殿は可憐であったが」
「やだおじさんったらー！　ね、にゃーくんもどう？」
　言って、円は愛猫のにゃーくんへと眼差しを移したのだが――、
「……あれ、解んない？　困ったなぁ」
　飼い主が突然消えた！？　とばかりににゃーくんは瞳をぱちくりとさせている。しかし、
「まあ、とりあえず」
　と、円は困惑しきりのにゃーくんをひょいと抱き上げた。
「このままカフェまで行こっかな？　おじさん、いってきまーす！」
　そうして円は、足取り軽くお洒落感溢れるカフェへと。
　テラス席で、円は本（寝子島文庫のオカルト本だ！）の頁をぱらと捲る。
（うん！　こう、こうだよね！　まさに素敵系ガール！　って感じの時間の過ごし方！）
　やがて、ブラックコーヒーがテーブルに届いた。
　円はそれをどこまでも優雅に口に運び――、
（って、苦い！）
　ひとりでにダメージを受けて、カップにたっぷりの砂糖を投入するのだった。と、その時。
「おっ、初ちゃんじゃんやっほー！」
　知った顔――犬杜初が近くを通り掛かったのを見留めて、円は立ち上がってぶんぶんと手を振った。
「あ、違うや、間違えた。うふふ、こんにちは」
「……どちら様ですか？」
「うふふふ……って、いや、円だよ、桜庭円！」
「はあっ！？」
　素っ頓狂な声を出して、それでも円に手招きされるままにテラス席へとやってくる初。
「え、何？　どうなってんの？」
「いや、さっきそこで、一日自分以外の誰かになれるって聞いてね？」
　落ち着いた感じの素敵系ガールになってる訳なんだよ、と、円はうんうんと頷く。
「なんていうか、一種の理想だよね、理想」
　そこまで言って、円は寸の間黙り込み、
「……いやっ！　まだ成長期ワンチャンあるから！　こうなるに決まってるけど！」
　と、バッと顔を上げるや、誰にともなく言い訳めいた言葉を力強く零した。
「一応ね、一応、こういう気分を味わってみるのもいいものかなと！　思って！」
「わかった！　わかったから！」
　なんて具合に一通りわちゃわちゃとしたあとで、
「あ、折角だし、写メってー写メってー！」
「別にいいけど……」
　と、なんやかんやで撮影会開始。
　ちなみに、写真はばっちり綺麗に撮れました。
「わ、ちゃんと写ってる！　神魂関連だしダメ元だったんだけど」
「まあ、この写真見るだけじゃ異変も何もわからないし、それでじゃない？」
「そっかそっかー。……それは良かったけど、実は困ったことににゃーくんが寄ってきてくれないんだよねぇ」
　ちらと、円は少し離れた所からこちらの様子を窺っているにゃーくんを見た。
「別の人だと思われてるみたいなんだよねぇ。んー、戻るかぁ。残念だけど」
　人の目がない瞬間を狙って、円は元の姿に戻れるよう念じる。
「ほら、戻ったよ、にゃーくんおいでー」
　ぱっと瞳を輝かせてにゃーくんがとんでくるのを、円は両手を広げて抱き留めた。

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