誰でもない誰かへの変身｜リアクション

誰でもない誰かへの変身

　男の話を聞いた八神修は、寸の間表情を曇らせて――けれどすぐに、口元に微笑を乗せる。
「ありがとう。なら、俺を猫にしてほしい。ふわふわの、上品で若い白猫に」
「承知した。貴殿の願い、確かに聞き届けよう」
　声は、頭の天辺よりもずっと上から降った。
　見上げれば、ずんと大きくなった男がこちらを見下ろして――、
（……いや、違う）
　男が大きくなったのではない、修が、願った通りの猫の姿へと変じているのだ。
「どうかね？　これで間違いはないだろうか？」
　しゃがみ込んでそう尋ねる男の顔には、柔らかな笑みが乗っている。
　その笑顔は、修の胸をつきりと刺した。
（誰かの願いを叶えるための一日だけの存在……僅か一日の命を、彼はどう受け止めているのだろう）
　いっそ、男がＡＩのようにただ反応を返すだけの存在だったならば、と思う。
　けれど酷なことに、目の前の男は人間味のある表情で笑っていて。
（ならせめて、この姿を満喫しよう。彼の存在が意義あるものとなるように……）
　にゃあ、と修猫は一つ鳴いた。
　これで問題ないと、そんな思いを猫の言葉に乗せて。
　そうして修猫は、ひらりと身を翻すと、覚えのある猫の集会所へと向かう。
（普段の猫めぐりや街の観察が、こんなところで役に立つとはな）
　集会所には、今日もちらほらと猫達が集っていた。
『やあ、今日は良い天気だね』
　猫の言葉で、挨拶をする。
　ぽっちゃりとしたボス猫が、訝しげな目をして修猫をじぃと見つめた。
『何だ？　見ない顔だな、新入りか？』
『ああ、その……旅の猫、みたいなものだ。今日一日、仲間に入れてもらいたい』
『仲間に？』
『皆で遊んだり、日溜まりでうとうとしたり、美味しい魚を頂戴したりしたいんだ』
　ふむ、とボス猫が猫の声で唸る。
『いいだろう。ついてきな』
　そうして、修猫は暫くの間、その猫達と行動を共にした。
　皆で漁港や魚屋に出向き魚のおこぼれも頂いて、日向で丸くなっていたのだが……。
「わ、ねこちゃんだ！」
　声にハッと目を覚ませば、修猫は、小学校低学年くらいの子供達に囲まれていた。
（これは……逃げ遅れた？）
　可愛いねぇ、と喉を撫でられながら、修猫は思考の末に決意する。
（上手くやれば、オヤツを貰えるかもしれない。猫なんだから俺も頑張ってみよう）
　そうして修猫は、愛らしく小首を傾げてみせた。
　――にゃあん。
　強請るような声を出せば、子供達はきゅううんと心を撃ち抜かれた様子。
「僕、お菓子持ってる！」
「いいなあ、私もあげたい！」
　わいわいと子供達が騒ぎ出すが、たっぷりと取り出されたのは人間用のお菓子だ。
　これは拙いかも……と思っていたところに、ふと、優しい声が降った。
「皆、甘い物をあげすぎると、猫ちゃん太っちゃって可哀相だよ」
　救いの声の主を見上げて――修猫は、ぱっと瞳を煌めかせる。
（あおいだ！！）
　偶然通り掛かったのは、七夜あおい。
　膝をついて「おいで」と声を掛けられて、修猫はあおいの膝の上にとんでいった。
　――にゃーん、にゃーん。
　今日はどこにおでかけしてきたの？　とか、今日は１人？　とか。
　修猫は一生懸命尋ねているつもりなのだが、猫の言葉は人間には通じない。だから、
「あはは、甘えん坊さんだねぇ」
　なんて、あおいはくすくすと笑いながら、修猫の毛並みを撫でるばかりだ。
　でも、その手の温もりが、修猫にはとても心地良い。
　見上げれば、あおいの笑顔が間近にあった。
　思わず、じっと見入ってしまう修。
（わあ、近い……！）
　心臓がドキドキと跳ねる。
　あおいが、青の双眸をぱちぱちと瞬かせた。
「何だか、初めましてじゃない気がするなあ。ね、どこかで会ったことある？」
　そっと抱き上げられて、修猫は「にあ」と鳴き声を零すのだった。