誰でもない誰かへの変身｜リアクション

誰でもない誰かへの変身

　謎の男の話を聞いた瞬間、響タルトの瞳はきらりと煌めいた。
　そして、１ミリの迷いもなく宣言することには。
「誰かになれるんなら……やっぱり美少年！」
　薄い本の参考にするよ♪　とにっこりするタルト。
「ウスイホン？　よくわからぬが……貴殿の願い、確かに聞き届けた」
　言って男が差し出した手鏡を覗き込み、「わあ！」とタルトは声を華やがせる。
　タルトは、今しがた想像した通りの見目麗しい少年へと変身していた。
「これは、他の美少年と絡み甲斐があるね♪」
　そうしてタルトは、弾む心地で街へと繰り出した。
「うーん、視線が気持ちいいなあ☆」
　絶世の美少年ともなると、美少年だけでなく、老若男女の視線をキャッチしまくり。
　その中にいい感じの美少年を見つけて、タルトは彼へと蠱惑的な笑みを向けた。
（美少年っていってもいろいろタイプがあるけど、理想は誘い攻めってね）
　少年――短い黒髪をしていて、少し尖った印象だ――の頬に、仄かに朱が差す。
　タルトは、誘うような上目遣いをして、「あ・そ・ぼ♪」と口の動きだけで言った。
　ターゲットの少年が、蝶が花を求めるようにタルトの元へと歩を進める。
「あの……っ」
「ふふ、来てくれたんだ」
　軽く小首を傾げて、微笑むタルト。
（いつも通りの僕だとついふざけちゃうから、ちょっと演技しなきゃかな？）
　という次第で、誘い攻め、誘い攻め……と、胸中に呪文のように唱え続けるタルト。
「だって、俺のこと呼んだだろ」
「さあ、どうだったかな？　でも……君に出会えたのは、運命かもしれないね」
　からかうような口調なら、地でいける。
　誘い攻め美少年を演じる一方、タルトは胸の内では、喜びに打ち震えていた。
（この！　美少年同士の！　絡みたるや！）
　なんてことを考えていたところに、不意に、腕に痛みが走る。
　見れば、いかにも柄の悪そうな青年が、タルトの細い腕を掴み上げていた。
「……僕に、何の用事？」
「何、あんまりキレーな顔の坊ちゃんがいたもんだから、お近づきになりたくてね」
　タルト、大ピンチ！　……の、はずなのだが。
（流石美少年、危険もいっぱいだね。でもきっと、守ってくれる人だって……）
　なんて、余裕たっぷりである。どころか、
（ああ、たくさんの男子たちを翻弄して、僕ってば罪な男……♪）
　薄い本のネタがまた増えたね♪　なんて、ちょっとわくわくもしている。つよい。
　その時、「おい、離せよ」と黒髪の少年が青年を睨み、「あ？」と青年が凄み返した。
（わ、このままじゃ拙いかも。やんちゃ系美少年の顔に傷が！）
　と、タルトは「きゃああ！」と甘やかな声を張る。
「助けて！　悪いお兄さんが！」
　辺りの視線が、青年へと突き刺さった。
　警察を……なんて声も聞こえて、青年は舌打ち一つ、その場を後にする。
「ありがとう……」
「こ、このくらい何でもねぇよ。それよりその……お前、名前は……」
「名前？　……そうだね、次に会ったときに教えてあげるよ」
　にこりとして、タルトは身を翻すと人混みの中に消える。
（ふふ、恋、生まれちゃったよね♪　もう会うことはないだろうけど……）
　少年の中に自分は美しい思い出として生き続けるのだろうと、タルトは心地良く夢想した。
「ところで、美少女との恋も捨てがたいよね～」
　なんてひとりごちていたところにすれ違ったのは、野々ののこと七夜あおいだ。
「ね、ののこちゃん、今の子見た？」
「え？　なになに？」
「すっごい綺麗な子とすれ違っちゃった。モデルさんかなあ？」
「わ、見逃しちゃったぁ。あ、でね、あおいちゃん、サンマさんが……」
　微かに聞こえる話し声を耳に、タルトは苦く微笑する。
（残念。恋に落ちてはくれなかったかぁ……さて）
　次はどんなネタが見つかるかなと、タルトは軽い足取りで人混みを抜けた。

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