海神の庭にて｜リアクション

海神の庭にて

　クジラ。
　その黒く大きな身体は、地上ではそうそう見ることが出来ない。ゆえに、クジラに対して特別な憧れや思いを抱くものもいる。久雨も、クジラに特別な思いを抱いている一人だった。一匹のウミコーギーを連れ、海のあちこちを巡っているのは、心の整理をつけたいためでもあるだろう。
　あの時、久雨はクジラを創ろうとした。しかし――クジラを簡単に作ることが出来る、ということに久雨の心の中で様々な思いが巡り、イメージなんてとてもじゃないが出来なかった。

「中々実行出来ずにすまない」

　適当な岩場の陰に座り、久雨とウミコーギーは一休み。ゆったりと流れる潮の流れに漂う虹色のクラゲやピアノウツボが一人と一匹の頭上を通って行った。

「どうしたんですか」
「うむ……鯨を、作ろうと思ったのだが」

　久雨は俯いて、暫しの逡巡の末に、口を開く。

「鯨を、私などが簡単に『作る』のは烏滸がましいと思ってしまったんだ」
「それは、どうしてですか」

　ウミコーギーの問いかけに、久雨は顔を上げてウミコーギーを見詰めた。

「そうだな。私にとっての鯨とは、心の中で淡く輝く光の様なもので……」

　心の中、泳ぐクジラの姿が久雨の心を照らす。あの日見たクジラが、消えぬ灯のように久雨の心に住んでいた。

「長らく沈んでいても、それは確かに、あって……」

　沈黙。ウミコーギーはただ否定も、肯定もせず、久雨が話し終えるのを待っている。久雨はまた俯き、考えをまとめていた。しかし久雨は口を開きかけて、閉じた。もう一度その口が開かれるとき、出た言葉はその続きではなかった。

「上手く言えないが大切なのだとは分かってくれるか？」
「……はい！」

　まっすぐな久雨の瞳に、ウミコーギーもその中に宿る思いに、はっきりと頷いた。そうして、また沈黙が流れる。ふと気になった久雨は、ある疑問をウミコーギーに投げかけた。

「貴様は想像して作れる生き物はあるのか？」
「……ない、です」
「ふむ……」
「うまれたばかりで、知らないことが多くて。うまくイメージ出来ないんです」
「……私達は似ているのかもな」

　ウミコーギーの話を聞いた久雨は、世界に出たばかりのウミコーギーと、自分を重ねて、久雨はある感情に動かされた。
　――見せてやりたい、その光を。
　かつて自分にクジラというものを教えてくれた、あの日のともだちのように、今度は自分がウミコーギーへ、それを見せなければならないような気がした。自分の為ではなく、コーギーたちの為であるならば、出来るかもしれない。久雨はそう思った。

　強い決意で目を閉じ、クジラを思い浮かべる。目を開けた久雨は、その場に立ち尽くして動くことが出来なかった。呆然と立ったままの久雨の視線の先を、コーギーが追う。

　そこには黒々とした雄大な姿を、澄んだ水の中に見せたクジラが、久雨を見ていた。

「……おや」

　五月はふと頭上を見て、クジラと共に泳ぐ久雨の姿を見つける。そのあとを、ウミコーギーの群れがついて行っているのにも気づいた。五月が大きく手を振れば、久雨もまた振り返す。
　海は穏やかに、彼らを包んでいた――