●作業２日目（３）　大きな進展●


「悪っりぃ！　寮に寄ってて、遅くなっちまった」
　桜花寮に水着と虫取り網を取りに寄り、遅れて来たのは１組の桜井 ラッセルだった。友人の逆巻 天野と真辺 伸幸が彼に気が付き、プールの対岸で手を挙げる。
「うおっ、これが噂の豆腐プールか」
　話には聞いていたものの、聞くと見るとでは大違い。
「雪景色に錯覚しそうな……これがプリンなら、な……」
　汚すのを躊躇う雪原をふと思い出し、その綺麗な純白に見惚れて、
「これぞ神魂の摩訶不思議……こういうのいいよなー（ちょんちょん）」
　とその豆腐をプールサイドからつっつく桜井だったが、
「ちょっとそこ行くセクシーペインター、
　ナイスおっぱい揉ませて下さい！　アーーッ！？（どぼーーん）」
「ふむ。まあ、せいぜい頑張れ」
　また性懲りもなく旅鴉 月詠などに、サムズアップのイイ顔で突き落とされている横嶋 下心を見て、はっと我に返る桜井。あっけなくあちこちで崩されている豆腐を見回し、
「って、プール開きできねーのは一大事だ。
　そうだよ俺もいっちょやるか……！」
　両頬を叩いて気合いを入れ直し、水着で豆腐にダイブする桜井ラッセル。

　ずっぽーーん！

（うぐ……水のプールにはいりてー。真っ白だしみえねーし）
　ともかく闇雲に虫取り網を振るい、もしドジョウの手応えがあったら水面に上がって確認し、バケツに入れていこうという作戦だ。
　……が、あの恵御納 夏朝もそうだったけれど、水中ならぬ豆腐の中で虫取り網を振るうのは、なかなかに難しい作業だった。豆腐の抵抗で柄がポッキリ、または網部分がうっかりすると破けてしまいそうで、ゆっくり慎重に動かしていくしかない。
「はー　はー……キリねー……」
　遅々として進まぬペースに、ともすれば諦め顔でプールを見渡す桜井。その横を、クロールでダバダバと志波 武道が通過していく。昨日に引き続き、今日は３〜４コースの豆腐を重点的に砕いているようである。
「がんばれよー！　……体育科は流石だな」
　しかし、自分の方はどうするか……、
「あれっ？　八神？」
　そこで桜井は、何やら重たげな機器を台車に載せ、こちらにやって来る八神 修に気が付いた。
「すまない、学校側の許可を取るのに手間取ってな」
「ん？　なんだその機械……？」
「水移動用の排水ポンプだ。機器レンタル店に片っ端から電話して、
　手頃な値段の物を借りてきた。２台あるぞ」
「排水ポンプ……？」
　呆気に取られている桜井に、自分の考案した作戦を説明する八神。
「……という訳だ。学校側には、プールで行う飲食行事と、
　その清掃に必要だと説明して許可を取り付けた」
　八神から作戦の一部始終を聞いた桜井は、
「大人か！？　完璧すぎだろ！？　……ま、わーったよ。
　根本解決できる案を捨て置いてやるなんて俺、ヤダし。何すればいい？」
「助かる。ではまず、機器の設置から手伝ってくれ……」
　こうして桜井は八神の案に乗り、共に協力を始める。

◇

　大掛かりな機器の設置を始めた２人に、何ごとかと他の生徒たちも作業の手を休めて注目する。
　八神 修と桜井 ラッセルはまず、離れたプール端に２台のポンプをそれぞれ設置し、揚水側のホースをプールに差し入れた。その吸引口には、目の細かい金網を取り付けて固定しておく。
　さらに、そのホースをぐるりと囲むように、金網の幕を周囲に張って、その内側にドポンと飛び込む桜井。しっかり金網が固定されているのを確認した後、
「よし、いいぞ八神。始めてくれ」
　頷き、ポンプをスタートさせる八神修。

　ドド、ドドドドドドド……

　迫力の音を立てて、ゴボガボとポンプが豆腐を吸い込み始めた。まず金網の柵で囲んだ内側の豆腐から、徐々に水位が下がっていく。しばらく頃合いを見計らったところで、桜井がホースの吸引口をおっかなびっくり手で探って、
「おっ、この……にゅるっとした手触り……いた、いたぞ！」
「キュキュウ！？」
　吸引口の金網に貼り付いていた１匹を、誇らしげに頭上に掲げてみせる。
「成る程。吸引口の金網は、ドジョウを誤って吸い込まないための網か。
　ついでにドジョウを選り分けるフィルターにもなり、一石二鳥……と」
　その様子を先ほどから興味深げに見守っていた旅鴉 月詠は、すぐに２人がやっていることを理解する。なぜなら、月詠も自身のろっこんを使って、似たような仕掛けを考えていたからだ。
「金網の柵の内側にいるドジョウを全て採集し終わったら、
　今度は柵の外側に貼り付いているドジョウを剥がして、回収すれば良い。
　ふむ。２段階の仕掛けというわけか……」
「おー、また見つけたぜ〜！」
　たちまち数匹のドジョウを吸引口で捕まえ、興奮する桜井。
「しかし、ドジョウが通らないほど細かい網の目では、
　そのうち豆腐が詰まって、目詰まりを起こしてしまうのではないか？」
　月詠の指摘には、
「このポンプは汚泥も吸える出力がある。
　その心配は無いと思うが……」
　そう答える八神だったが、しばらく試しているとやがて、問題があることが分かってきた。金網の内側の豆腐は順調に水位が下がっていくのだが、金網の外側の豆腐が、なかなか内側まで流れ込んでこないのだ。ホースの吸引口よりも金網の方が、単位面積当たりの吸引力が落ちるからだろう。
　けれども心配は要らない、２人の生徒がそのフォローに回った。
「砕くぜーエレガント砕くぜー！！」
　プールを往復していた水泳部の志波 武道が、金網の周囲を重点的に泳いで豆腐を細かく撹拌し、網の目を通過させやすくする。昨日からの疲れはさすがに見えるものの、
「さすが武道ちゃんセンパイ、豆腐の中を華麗なフォームなのだ」
　とその乱れのないクロールに、後木 真央もかぶりつきでプールサイドから応援だ。

◇

　そして金網の目詰まりの解消に、そのろっこんで大きく貢献したのは、旅鴉 月詠だった。
「ふむ……このバケツでいいだろう」
　手頃なバケツの底に、持参の耐水性の画材で、『鍋の中で丸くなった猫の絵』を描く月詠。そして目をつむりながらプールの豆腐をまず、すりきり一杯になるまでそのバケツで掬った。
　それから次に金網の囲いの内側に入り、目詰まりを起こしている箇所を手探りで探す。ギュウ詰めになっているその豆腐の壁に、内側からバケツを押し当て、そこで目を開いた。
　これをキッカケにろっこん【絵空事】、発動。
　ぼこっ。
　金網ごしに、バケツ３〜４杯分の豆腐が吸い込まれて、キレイな穴が空いた。【絵空事】の封印能力を利用して、月詠がその空間の豆腐を吸い込んだのである。
　すぐにその空いた箇所には、武道が砕いた豆腐が流れ込んでくるが、今度はスムーズにその網の目を通過した。目詰まりも、【絵空事】の吸引によってキレイに解消されたからだ。
　言わば、ろっこんを利用した簡易掃除機である。
「ふむ、なかなか上手くいったようだな」
　ポンプの吸引が続けば、そのうちまたこの箇所も詰まってしまうだろうが、そうしたら同じことを繰り返せば良い。
「助かった、旅鴉。ありがとう」
　気持ち良く礼を述べる八神に、
「なに、気にするな。私も似たようなことを考えていたから、
　すぐに対応できたまでのこと。むしろ私が、この網を利用させてもらっている。
　生きた動物──ドジョウがバケツの絵に触れると、そこで封印が止まってしまうからな」
　と続けて金網ごしに、豆腐を吸引していく月詠。何度かやっていると、豆腐が消失した金網に、目を丸くしたドジョウが貼り付いていたりして、その回収も効率良く進む。網が無ければこのドジョウも、バケツの中に入ってしまっていた、という訳だ。
「いいぞ、俺もドジョウ回収を手伝おう。
　桜井、もう１台のポンプの操作を頼めるか」
「了解。まかせろ。志波兄も旅鴉も、その調子でがんばれよ！」
　水着になってプールに入る八神、そして桜井も友人たちにエールを送る。様子を見ていた逆巻 天野や真辺 伸幸、後木 真央なども、金網の外側からドジョウ回収を手伝い始め、
「にょー！！」
　うっかり足を滑らせ、顔面から豆腐に突っ込んだ真辺を途中笑ったりしながら、八神のアイデアと皆の共同作業により、飛躍的にドジョウ回収作業がはかどったのだった。その数、合計で２５匹。この調子で明日も作業を続ければ、どうやらドジョーズ回収の目処は付きそうだ。
　こうして大きな進展を見せ、２日目のプール復旧作業が終わった。


●作業２日目（夜）●

　その夜。再びドジョウを釣るために忍び込んだ亜魚隈 猯利は、昨夜とは劇的にプールの様子が様変わりしているのを発見した。
「ん……？」
　プールのあちこちでぽっかりと豆腐が消失し、代わりにその空間が、深い水を湛えた穴に変わっているのだ。とくに端の方ほど、その変化が大きい。
　亜魚隈は、プールの端に設置されている大きな機械を見る。今は稼働していないが、どうやら昼間にここの生徒たちが、何かをしたのだろう。
　けれどすぐにその機器には興味を失い、黙々と釣りの支度を始める亜魚隈。彼の目的はただ、ドジョウを釣ることだけなのである。
　さて、今日亜魚隈が試す仕掛けは、毛鉤とワーム（ソフトルアー）だ。
　まず毛鉤から。
「好奇心旺盛なドジョウなら、疑似餌でも反応するはず……」
　毛鉤に微妙なアクションを付け、プールに落ちた羽虫のように演出する。
　しかし、これはすぐに駄目だと分かった。豆腐の表面に落としても、豆腐の中にいるはずのドジョウには、明らかに毛鉤が見えていないだろう。
　亜魚隈は仕掛けをワームに付け替え、今度は重めのオモリをつけて空中高くキャスト。勢いをつけてワームを豆腐の底深くに投入し、今度は着水音と動き（振動）で興味を引こうとした。
　けれども、昨日のミミズに喰い付かなかったドジョウたちは、やはりワームにも反応を見せなかった。結果から言えば、残念ながら本日も釣果無し。ネックなのはやはり、ドジョウの主食である豆腐が、すでに豊富に現場にあることだ。おかげで通常の餌や疑似餌が、見向きもされない。難しい釣り場である。
　しかしまだ、亜魚隈には考えがあった。ならば、餌に頼らない釣り方をすれば良い。
「明日は、友釣りを試そう……」
　しかし友釣りをするにはまず、オトリのドジョウを確保しなければならない。その１匹はどうすればいいのだろうか。腕を組んでしばし考えこむ、亜魚隈なのだった。

【１０１匹ドジョーズ回収状況】
八神 修、桜井 ラッセル、旅鴉 月詠、志波 武道、逆巻 天野、真辺 伸幸、後木 真央……２５匹　　
（残りあと４０匹！）