パラダイスキーパー～翼ある護り手達と絶望凍る湖～｜リアクション

パラダイスキーパー～翼ある護り手達と絶望凍る湖～

　潜って、潜って、潜って――潜り続けるうちに、辺りは尋常でなく暗くなり。
　気付けば仙藤紫は、地面に足をつけて立っていた。
　衣服や髪も、水を滴らせてはいない。
　湖に潜った、という現実が、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。
（ほんの少し前までは、大学の図書館で授業に必要な本を探していたのに……）
　ぴたりと傍らに寄り添う翼獣の背を撫でてやりながら、紫は暗闇の中に思う。
　偶然あの本を手にして、異世界へととばされて。
　そこで、一通りの事情を知らされて。
　そうして今は、ぬらりと濃い闇の中に立っている……夢のような話だ。
（だけど、これは夢じゃない）
　紫を頼るように身を寄せている翼獣の温もりが、紫にそう教える。
　この翼獣はどことなく、あの子に似ている。
　ならば守らなくてはと、紫はそんなふうに思うのだ。
（それにしても、翼獣がいるということは、この世界は以前訪れた異世界と何か関係があるのかしら？）
　紫がそこまで考えた、その時。
　思考を断ち切らんとばかりに、どこからか呪いの如くに、嘲り笑うような声が響いた。
　声は、悪意と侮蔑の色を帯びている。
　その対象は紫で、その声の主は――、
「……私？」
　どろりと重たいような暗闇の世界に、影が２つ浮かび上がる。
　その正体は、隠しようもなく殺意を纏った紫自身と、一頭の翼獣だった。
　これから戦いが起こる、という、確信めいた予感。
　紫は、頬にひやりと冷たい汗を伝わせた。
（私には、戦闘向きのろっこんはない。武器だって持っていない……）
　相手も条件が同じならば――この戦いは、ギリギリの心理戦になるだろう。
　動けずにいる紫の前で、偽紫は双眸をぎらつかせて嗤った。
『さあ、一緒に遊びましょう？』
　瞬間、偽翼獣が紫へと躍り掛かってくる。
　避けられない――その状況を打ち破ったのは、紫と共に在る翼獣だった。
　紫を狙う偽翼獣の横っ腹へと跳び掛かり、相手を地に落としたのだ。
　紫へとぴったりひっついていたのが嘘のような勇敢さに暫し目を瞠ったあとで、
（――いけない。あの子が作った機を無駄にはできないわ）
　と、紫は真っ直ぐに偽者の自分を睨み据えた。
　向こうは、形の良い唇を笑みの形に歪ませている。
　すう、と息を吸って、偽紫へと声を掛ける紫。
「戦って、どうするの？　目的は何？」
『目的？　そんなの、わかっているでしょう？』
　仙藤紫を殺したいのだと、偽者は言った。
　ぐ、と、紫は思わず怯み、一歩後ずさりそうになる。
　明確な殺意、それがもたらす迫力。
　戦う為の力こそ持たないのは同じでも、相手は紫が手のひらの中に握っていないものを持っている。
（……もし、付け入る隙があるとすれば）
　それは、相手の思考の先を読むことしかない。紫はそう感じ取った。
（私が彼女なら……いつまでも、翼獣同士を戦わせはしない）
　紫を先に屠る方が、よほど楽だからだ。
（なら……！）
　きゅっと表情を引き締めて、紫は声を張った。
「お願い！　彼女を先に倒して！」
　果たして声は、翼獣の耳にしかと届き。
　追い縋る偽翼獣がその身体のあちこちを深く傷つけるのにも構わずに、翼獣は紫の命に従った。そして。
『きゃ……』
　短く悲鳴の尾を残して、翼獣に牙を突き立てられた偽紫が儚く消える。
　残されたのは紫と満身創痍の翼獣、加えて、まだ戦う気力に溢れている偽翼獣だ。
　そうして――翼獣が紫を守らんと駆けるよりも、偽翼獣が動く方が寸の間速かった。
「あ……」
　終わった、と思う。
　けれども偽翼獣の牙や爪が届くよりも早くに、紫の身体は光に包まれて。
（私の偽者を、倒したから……？）
　見れば、翼獣もまた、紫を包むのと同じ光に抱かれていた。
（良かった……あの子も置いていかなくて済むのね……）
　恐らくは、紫の存在の方が、この世界の核だったのだろう。
　消え行く幻の世界の中に、紫の安堵の息が緩やかに溶けていった。