《彼とぼくらの百鬼夜譚》月魄の姫君　１｜リアクション

《彼とぼくらの百鬼夜譚》月魄の姫君　１

　優木遥斗は寝子島の生まれではない。実家は本土にあり、普段はシーサイドタウンの桜花寮で暮らしている。だからそれほど寝子島について深く知っているわけではない。
　ときどき通っている剣道教室、それに桜花寮付近、通学路、それに安くて量が多いことからいつもお世話になっている食堂が、遥斗の日常における行動範囲だ。
　一応運送屋のバイトを始めた関係から旧市街を全く知らないというわけではなかったが、やはり見慣れた場所というほどには道に通じていなかった。
　自分がどこをどう移動しているかも実はよく分かっていないまま動いていたから、角を曲がった先で同じ剣道部所属の御剣刀を見つけられたときは、内心かなりほっとした。
　普段と変わらないように見えて、その実異変があればすぐに感じ取れるよう感覚の研ぎ澄ませていたのか、刀もすぐに遥斗に気づき、横の家に向けていた目を彼へと向ける。
「御剣。おまえもいたのか。全然人に会わないから、もしやここには俺だけかと思い始めていたところだった」
　駆け寄ってきた遥斗に、刀は「俺も」と返した。
「ところでつかぬ事を訊くが、ここは旧市街か？」
　確認するような遥斗の言葉を不思議とも思わず、刀はうなずく。
「たぶん」
　そして遥斗が来るまで見ていた、垣根のある家へ再度目を向ける。雨戸の閉まったそこは、かなり老朽化の進んだ廃屋だった。
　乾燥した竹で作られた垣根は硬く、格子の間から出た葉はにおいも感触も植物そのもので違和感がない。廃屋のほうも、人の住んでいる気配こそなかったが、どこもかしこも雨漏りで黒ずんでいたり蜘蛛の巣が張られていたりと、相当前からここにこうして建っていたことがうかがえる。
「ここ、空き地のはずなんだが……」
　そのつぶやきは、ここは遥斗の知る現実空間ではないということを明示するものだった。
「まさかまた寝子島小のときのように、異空間に閉じ込められたのか？」
　遥斗はつい、眉をしかめる。
　寝子島小で神隠しにあった子どもたちを助けるため、木魂と対決したときのことは、まだ記憶に新しい。
　五感を澄ませてみたが、あの独特の木の根がぜん動するような音や気配は感じられなかった。といっても、霊感的なものが自分には全く備わっていない自覚はあるから、例えやつらの仕業としても存在を感じ取れる自信はなかったが。
　一方で、刀は夕日へ目を転じる。
「どうだろう？　今回は、太陽はきちんと動いてるみたいだ」
　あの桜の花びら舞う異空間は、時間の流れを感じさせなかった。だがこちらの世界は違う。
「そうか」
　赤色を増して、じりじりと西の水平線へ近づく太陽を遥斗も見つめた。
「だが、それなら急いだほうがいいだろうな。じきに夜が来る」
　この世界で夜になれば何が起きるかはまだ不明だが、視界が狭まって今より動きづらくなるのは目に見えている。
　今のうちにできるだけのことはしておいたほうがいいだろう、ということで意見が一致して、ふたりは自分たちのようにほかにも迷っている人がいないか、探すことにした。
　手がかりになりそうな唯一のもの、花の香りに導かれるようにして。
　