春時雨の旧市街｜リアクション

春時雨の旧市街

「……おや、雨だね。急に降るなんてついてないな」
　新田樹のかざした手を、大粒の雨が叩きはじめた。

　樹は今、旧市街の公園に来ている。
　特に理由があったわけではない。
　あてもなく街をぶらついていたら、偶然ここに辿り着いたのだ。

　樹は急いで屋根付きベンチに駆け込むと、髪の雨粒をタオルでさっと拭った。
　幸い、濡れは大したことはない。少し雨宿りすれば、にわか雨も通り過ぎるだろう。

　ふと樹は、公園に人影がないことに気づいた。
　どうやら園内にいるのは、自分ひとりのようだ。
（思索の時間にはちょどいい……か）
　人にも雑音にも邪魔されない、たった一人の時間。
　樹はそっと、今までの自分を振り返ることにした。

　寝子島で出会った奇妙な事件の数々が、樹の脳裏に浮かんでは消えてゆく。
　どれもが彼女にとっては忘れがたいものばかりで、思い出しただけで脳が快感に震えてしまう。

（寝子島って本当に面白いよね。ここはスリルと不思議で溢れてる。私にとっては楽園のみたいな島だ）
　樹が危険な事件に身を投じる理由。それは何より、魂がスリルを求めるからに他ならない。
　そんな日々を過ごすうち、彼女は自らの抱える「悪」の側面と向き合わざるを得なくなった。

　樹は生来、危険に首を突っ込むのが大好きな性格だ。
　命を落としかけた事も一度や二度ではなかったが、大きな危険というのは、一度味わうと病みつきになる。

　いつからだろう。
　心に抱える善良とは言えない側面を、樹が自覚するようになったのは。
　その気になれば、犯罪に手を染めることも出来るのではないか？
　スリルを味わうならば悪事を働いた方が楽しめはずではないか？
　そんなことを、つい考えてしまう。

　樹は中学２年生になったばかり。少しずつ大人への階段を上ってゆく年頃だ。
　同時に、自分とは何者かという問いに直面する年頃でもあった。

　樹は自問する。
（どうして私は平和を守る側に立つのかな？　本当はスリルが嫌いとか？）
　樹は即座に否定する。ならば何が理由なのか？

（家族や親しい相手に叱られるのが怖い？　それとも、報復を受けるのが怖い？）
　その恐怖もゼロではない。だが、それが平和を守る理由かと問われれば、樹は否と答えるだろう。

（平和な日常はどうなんだろう。学校や私生活、家族に友人達。どれも私には掛け替えのない物ばかり）
　ふと樹は、邪悪な想像に身をゆだねてみた。
　自分のやりたいことだけをやり、欲しいものを全て手にした「その後」。
　邪魔する奴は誰もいない。叶わない事は何もない。
　望んだワガママがリスクなしに実現できる、そんな世界を。

――なんて退屈だろう。

　それは偽りのない、彼女の魂の声。
　そして気づく。自分がスリルと同じくらい、平和を愛していることに。
（スリルはどんな時でも味わえる。でも悪に手を染めれば、私は二度と平和を手にできない）
　だから自分は救う側に回るんだろう。そう樹は結論づけた。

　樹が辿り着いた、樹にとっての真実。
　ふと顔を上げると、雲の間から晴れ間が覗いていた。
　公園の木々では鳥が歌い、雨が去ったことを告げている。

（晴れと雨がコロコロ変わる、雲の多い晴れ間……か）
　思わず樹は苦笑した。
　まるで、今の自分の混沌とした心を表しているかのようだ、そう思ったのだ。

「よーし、これからも楽しむぞ！　この混沌とした島を存分に！」
　樹は生まれ変わった気分で高らかに宣言すると、颯爽とした足取りで公園を後にした。