春時雨の旧市街｜リアクション

春時雨の旧市街

　参道商店街は、とてもシンプルな構造をしている。
　区画は整備され、西の九夜山は大きな目印。街の人達は、皆親切に道を教えてくれる。
　故に、たいてい目的地に辿り着くには３０分もあれば充分なはずだった。

「えっと……ここ、さっきも通らなかったかしら」
　そんな商店街の中を、楡宮遠海はかれこれ３時間近くさまよい歩いていた。
　地図を片手に、あちこちで道を尋ねながら、である。

　歩く。
　道に迷う。
　地図を見る。

　彼女は今朝から、ずっとこの３つを繰り返していた。
　生来の方向音痴ゆえ、道に迷うのは日常茶飯事だが、今日のそれはとりわけ酷いようだ。

「どうしようかしら、困ったわ」
　長い睫毛をしばたたき、遠海はがっくりと肩を落とした。
　用事があって旧市街に来たものの、いつまでたっても辿り着けない。
（仕方ないわね。用事はまた今度に……あら？）
　その時だった。
　青空を覆っていた雲から、突然ゴロゴロと雷鳴がとどろきはじめたのは。

「あら大変、降りそうだわ」
　言い終えるや、黒雲から稲光が走り、どしゃぶりの雨が降り出した。
（雨宿りしなくちゃ。適当な場所、どこかないかしら……？）
　見知らぬ土地で、大雨というアクシデントに見舞われて、今日はつくづくついていない。
　肌に張り付く衣服の寒さに震えながら、遠海は雨露を凌げそうな場所を探し始めた。

　右へ曲がり、左へ曲がり、点滅する信号を駆け抜け、路地を通り抜け……
　直感に導かれるまま走りながら、雨宿りの場所を必死に探す遠海。
　しかし、そう都合の良い場所が見つかるはずもなく、朝から歩き続けた疲労が一気に押し寄せてきた。

（私、今どこにいるんだろう）
　叩きつけるような大雨が、遠海の体温を容赦なく奪ってゆく。
　遠くから聞こえる寝子電の警笛が、遠海の不安をいっそう煽る。
　とうとう遠海は、完全に道に迷ってしまったことを自覚した。

「どこでもいい……！　どこでも、わぶっ」
　凍えた足がもつれ、遠海は派手に転倒した。
　紫色の唇を震わせて、毒を吐こうとして顔を上げる遠海。
　そんな彼女の目に映ったのは、もうもうと煙を上げる高い煙突。商店街の銭湯、杜の湯だ。
（あそこなら雨宿りできる……！）
　遠海は最後の気力を振り絞り、杜の湯の暖簾をくぐった。

　銭湯の店員は、すぐにバスタオルを持って来てくれた。
　ふわふわのタオルで体を拭い、柔軟剤の香りに包まれると、遠海の体にどっと疲労が押し寄せてくる。
　幸運にも銭湯は遠海の貸し切りで、のんびりと骨を休められそうだ。

「ふうっ、極楽だわ」
　お湯を浴びて温まった体を湯船に浸すと、これまでの疲れが嘘のように取れていった。
　朝から歩き続けだった体中の筋肉が、じんわりとリラックスしていくのが分かる。
　今日の風呂は何かの薬湯を用いているのか、ほんのりとマタタビのいい香りがした。

「～♪　～♪♪」
　心に浮かんだ歌が、自然と口をついて出てきた。
　道に迷い雨に降られと散々だったが、まんざら悪くない日だと遠海は思う。
　遠海の鼻歌が、銭湯をそっと満たした。

　コインランドリーに突っ込んだ服が乾くまで、もうしばらくかかるだろう。
　それまでは、このひと時をじっくりと味わうことにしよう……

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