春時雨の旧市街｜リアクション

春時雨の旧市街

　寝子島の外周にＪ字型に敷設された国道２９９線。
　島入口の連絡架橋へと繋がる上り車線を、七峯亨がバイクで疾走していた。
　相棒に跨り、潮風を切って走る喜びは、何物にも代えがたい。
　春先の穏やかな空気に、バイクのマフラーも朗らかに笑っている。

　亨が向かっているのは、旧市街の通り沿いに建つカフェ。
　ツーリングで行きつけにしている店のひとつだ。
　たいてい昼過ぎには混み始めるので、その少し前に寄ることにしている。

「よし到着、っと」
　駐車場から店の窓を眺めると、中はさほど混み合っていない。
　いつものように、お気に入りの席が取れると良いのだが――
　そんな事を考えながら、亨は店のドアをくぐった。

「いらっしゃいませ。窓のお席でよろしいですか？」
　馴染みの客には、店員の対応も慣れたものだ。
　亨は窓際の席に案内されると、熱いおしぼりで手を拭い、窓から見える景色に目をやった。

　外では、湘南の海原が太陽に照らされて光っている。
　この席から眺める風景が、亨は大のお気に入りだった。
「さて。軽く腹ごしらえといきますか……おや？」
　亨は熱いおしぼりで手を拭い、注文を出そうとした矢先だった。
　ふいに窓の向こうが曇り、ざあざあと雨が降り始めたのだ。
「参ったねぇ。こりゃ暫く駄々っ子か」
　亨は肩を竦めた。次第に強まる雨脚は、暫しの雨宿りを余儀なくさせそうだ。
「エスプレッソとフルーツサンドを」
　店員に料理を注文すると、亨はスマホを取り出した。しばらく店で粘るとしよう。

『喫茶店にて大雨遭遇なう。傘でも買って帰ろうと思うんだが、どこか良いとこ知らない？』
　亨はねこったーにログインし、つぶやきを投稿した。フレンドからのリプは来るだろうか。
　ぼんやりと外を眺めれば、空は暗く、けぶる雨霧で折角の風景も台無しだ。
「暇を潰せるもん、なーんも用意してねえからなー。雨に歌うようなミュージカル気質でもなし」
　ひとりごちて椅子にもたれかかる亨の耳に、マキネッタの奏でるコーヒー抽出音が響いてきた。
　食欲をそそる心地よい音。エスプレッソの香りが追いかけるように、そっと亨の鼻をくすぐる。

「ま、焦っても仕方ない。のんびりしてくか」
　雨の中をずぶ濡れで歩く趣味もあって良い。
　カフェ・レーサーよろしく雨の中でも風を切って突っ走る趣味もあって良い。
　だが、今日はゆっくりしていくと決めていた。

「お待たせいたしました。エスプレッソ、フルーツサンドです」
　運ばれてきた品に、亨の頬は思わず緩んだ。
　美味しい料理は、嫌なトラブルを忘れさせてくれる。

「いただきます」
　濃いコーヒーを一口含み、ますます破顔してしまう。
　フルーツサンドは、イチゴとオレンジを生クリームで挟んだシンプルなもの。
　果物のほのかな甘味と酸味にエスプレッソの香りが加わって、素敵なハーモニーを奏でた。
　前に出がちなコーヒーの苦みを、生クリームが良い塩梅で受け止めてくれる。
　店での至福のひと時を、亨はゆっくりと楽しんだ。

「ごちそうさまでした」
　窓の日差しがサンドイッチの白い皿にかかった頃、亨は食事を終えた。
　スマホを見てみれば、先程のツイートに幾つかリプライが付いている。
　どうやら近所に、いくつか手頃な店があるようだ。帰りしなに、寄ってみるとしよう。

「さてと、そろそろ行きますか」
　また機会があったら、立ち寄ることにしよう。
　身も心も満たされた思いで、亨は伝票を手に席を立った。