春時雨の旧市街｜リアクション

春時雨の旧市街

「今日も今日とて良い日和なのです」
　猫屋敷姫は、自宅の縁側で春の青空を拝んでいた。
　面倒な家事をあらかた済ませ、休息のひと時である。
（のんべり、のんべりです）
　海から吹く潮風に頬を撫でられ、茶色のツインテールがふわっと揺れた。

　姫の自宅は、旧市街の外れにひっそりと建つ、伝統的な日本家屋だ。
　その家屋――名字の由来でもある「猫屋敷」は、寝子島で生きる猫たちの寄合所のひとつ。
　普段は猫で溢れる屋敷が、今日に限って数が少ない。

「何ぞ面倒事でもおありですかねえ」
　昼前になっても、数える程度の常連が、ちらほらと顔を見せただけだ。
　いずれも近所のボス格で、何とも言えない風格を漂わせている。

（今日のご飯は、ちょいと少なくなりそうです……おや？）
　背中の巨大ピコハンをぶんぶん弄んでいた矢先、姫は不吉なものを目にした。

「ゴロゴロ」
「ぐるぐる」
　ふいに猫たちが、一斉に顔を洗い始めたのだ。
　子供でも知っている、雨の前触れのサインだった。
「こいつは……もしや」
　嫌な予感に空を見上げれば、青かった空が、墨をはいたように黒く染まっている。

「ちょいとマズイです」
　空を見上げれば、今にも雨が降り出しそうだ。
　姫は洗濯物を屋敷の中へ放り込むと、庭の竿に吊るした布団へと駆け寄った。
　敷布団と掛布団が２枚ずつ。小学生と間違われるほど小柄な姫には、かなりの力仕事になる。

「ここはちょいと、ろっこんの助けを借りるのです」
　姫は縁側の猫に向き合うと、ピコハン片手に即興で歌い始めた。
　叩いたものを歌詞のサイズと同じに変える、『スクナヒコナ』だ。

　♪猫さん一寸お聞きあれ♪
　♪私は屋敷の一寸法師、打出の小槌はどこだろう♪
　♪一寸上は天国と、長身に焦がれて十五年♪
　♪毎日牛乳ごくごく飲んで、伸びる一寸、胸ばかり♪

「ご清聴ありがとうございますです」
　歌が終わると、縁側の猫たちが一斉に喉を鳴らして転がった。
　振り回したピコハンを背負い、物干し竿に駆け寄る姫。
　一寸サイズに縮んだ布団が４枚、竿に引っかかっている。

「何とか間に合ったです」
　掌サイズの布団をまとめて屋敷に放り込み、雨戸を引いていると、門の向こうから若い猫が屋敷に走ってくるのが見えた。
　軒下へ滑り込むと同時に、ざっと雨が降り始める。
「ギリギリセーフ、ってやつですね。……邪魔です、ちょいとどくです」
　悠然と寝そべる縁側の猫をどかし、姫は最後の雨戸を閉め終えた。

　猫は夜行性の動物であり、昼間に活発に行動するのは稀である。
　雨の日ともなれば尚更だ。できることもないので、ずっと眠っている。
「今のうちに、ご飯の準備でもやっておくです」
　海の向こうでは、晴れ渡った青空がのぞいていた。じきに雨はやみ、光が差すだろう。

　姫は縮んだ布団を元に戻すと、さっさと洗濯物を片づけて、台所へと足を運んだ。
　ミルクを温め、キャットフードのカリカリを皿に移してゆく。
「おや」
　振り返れば、寝ていた猫たちが台所の入り口から姫を伺っていた。
　先ほどまで見なかった猫の顔も、ちらほら見える。
「雨、止みましたかねえ。もうちょいとお待ちなさいですよ」
　姫の言葉を察したのか、猫たちは一斉にダッと廊下を駆けていった。

　出来上がった食事を盆に乗せ、姫が向かったのは居間の一角。
　姫は隠し扉の畳を開いて、軒下にそっと食事を供した。
「ごゆっくりです」
　挨拶を残し、姫は居間の奥へと消えていった。

　ここは寝子島の猫屋敷。
　来る猫拒まず、一宿一飯の宿。

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