ネコの気持ちが知りたいな！｜リアクション

ネコの気持ちが知りたいな！

　羽生碧南は桜花寮のベッドで目を覚ました。仰向けの状態で部屋の薄暗さに気付き、瞼を閉じる。
　表情は硬い。苛立った右手が枕元のスマートフォンを掴み取る。顔の前に掲げて薄っすらと目を開けた。
「朝練はないのに……」
　画面は午前六時を告げていた。軽く息を吐く。二段ベッドの下からそっと抜け出し、手早くジャージに着替えた。

　薄青い空の下、碧南は海を目指して走る。
　歩道に人は疎らであった。走りに専念することができる。手足は連動して同じペースを刻む。途中の赤信号は迂回で避けた。
　青い空が水平線と混じり合う。海岸線の道を尚も走る。間もなくして横手に逸れた。砂の斜面を下りて波打ち際にいく。
　表情が引き締まる。急に走る速度を上げた。百メートルを超えた辺りで緩める。何度か繰り返した。
　最後は前のめりで転がった。砂浜に大の字になる。少し荒くなった息をゆっくりと整えていく。
　――良いトレーニングになったわ。時間も潰せたね。これで朝食が美味しく食べられるし、朝風呂も楽しめるわね。
　前向きな考え方に笑みが浮かぶ。
「……良い一日になりそう」
　大きく息を吸い込んで吐き出す。緩やかに上体を起こした。
　その時、目が光る物を見つけた。摘まみ上げると輪であった。一部に切れ込みがある。
「イヤーカフスかな。え、誰？」
　立ち上がった碧南は周囲を見回す。誰もいなかった。
　――プレゼントって聞こえたんだけど……。
　改めてイヤーカフスに目を向ける。猫の耳のような突起があり、見た目は悪くない。
　適当に耳に嵌めてみた。その場で足踏みをする。
　――ぴったりね。付けてないみたい。
　碧南は再び走り出す。砂浜を横断して斜面を一気に駆け上がった。

　肉体の欲求に従って入り組んだ道を走る。民家が多く見られたが人気はなかった。
『今日も良い天気だな』
　その状態で声が聞こえた。碧南は走りながら斜め前に目をやる。誰かが放置した自転車のサドルの上に黒白の猫がいた。空を見上げた姿で大きな欠伸をした。
　――猫の声じゃないよね？
　思いながらも目は猫を見詰めていた。
　左手の前方に小さな公園が見えてきた。複数の話し声が重なって聞こえる。煮干しという単語に引かれた。
　柵代わりの木に碧南は身を寄せて公園の中を窺う。ベンチを中心にして猫達が集まっていた。
『煮干しがたくさん貰えた』
『カリカリをくれる人がいる』
『魚屋がいいよ。いつもくれるから』
　会話の内容は猫に相応しい。公園には人の姿がなかった。
　――猫の会話がわかる？　これって凄いことだよね。
　木に隠れた状態で碧南は少し近づいた。好奇心に満ちた目で耳を澄ます。
　ベンチに座っていた茶トラの猫が話を切り出す。
『ここら辺を走る女の子がいるよね』
『いるね。背が大きくて手足が長い』
　隣で丸くなっていた黒猫が顔を上げる。
『あの子、たまにくねくねして、ヘンな笑い方するよね』
『乙女ゲームの王子様がどうとかって、なんかブツブツ言ってたよ』
『乙女ゲームってなんだろうね』
　茶トラは前脚で顔を擦る。黒猫は公園の外に目を向けた。
『あそこにいるんだけど』
『え、どこ？』
『どこどこ、ヘンなクネクネ』
　全ての猫が揃って顔を向けてきた。碧南は愛想笑いを浮かべる。
「さーて、ジョギングに戻ろうかな」
　猫達の視線を避けて走り出す。桜花寮に向けて速度を上げた。
　――乙女ゲームは好きだけど、いつも頭の中で考えている訳でもないし。普通の範疇だと思うんだけどね。
　少し広い道に出た。一人のスーツ姿の男性に目がいく。痩身で身長は高い。朝陽を浴びた髪が金色に見えた。
　――乙女ゲーに登場する執事に似ているかも。
「……グフフ」
　碧南は奇妙な笑い声を漏らして走り続けた。

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