cafe眠り猫へようこそ！｜リアクション

cafe眠り猫へようこそ！

　仙藤紫は、この春から木天蓼大学の文学部に通う大学生だ。
　入学してから今日まで、紫の大学生としての日々は多忙を極めていた。
（入学式、新入生向けのオリエンテーション、英語のクラス分けテスト、履修登録のガイダンス……）
　健康診断や新入生歓迎会などもあり、時間はあっという間に過ぎていく。
　大学の授業の方が本格的に忙しくなる前にと、紫は日曜日のシーサイドタウンへと出掛けた。
（忙しい日々は、まだまだ続きそうだものね。気分転換も必要だわ）
　今日の目的は、ちょっとした買い物。
　今は、それを終えた帰り道なのだった。と、その瞬間。
（――あら？）
　紫は、ふと通り掛かったカフェ――《cafe眠り猫》を認識し、それと見留めた。
　パンの、ふくよかな香りが通りまで漂っている。
（そういえばまだ昼は何も食べてないわね）
　ということを、紫はそれで思い出した。
　お腹が空いている、ということに気付くと、それに抗うことは難しくなる。
　紫はそのまま、扉を開け、店内へと足を踏み入れた。
　心地良く響く「いらっしゃいませ」の声を耳に、適当な席に着く。
　メニューの頁を開くと、目に留まったのはスコーンとストロベリーティー。
　それを注文して、紫は先ほど買ったばかりの文庫本を荷物から取り出した。
　スコーン達が運ばれてくるまでの間、それを読んで時間を潰すつもりなのだ。
　文庫本の頁を開き掛けた、その時だ。
　店の扉が開いた音に、紫はふとそちらへと顔を向ける。
　そこに立っていたのが見知った顔だったので、紫はごく僅かに目を瞠った。
　そうした後で立ち上がり、その相手へと声を掛ける。
「こんにちは、津止先生」
「……仙藤か」
　落ち着いた声音の中に、幾らか驚きの色が混ざっている。津止孝道先生だ。
　津止先生の元へと歩み寄って、紫は改めて頭を下げた。
　顔を上げ、相変わらず無口な津止先生へとこちらから問いを零す。
「先生は、ここへよく通われるのですか？」
「……いや」
　津止先生らしいと言えばらしい、あまりにも短い答え。
　恐らくはつまり、紫と同じく偶然ここに辿り着いたのだろう。
「……大学はどうだ」
　またもごく短く問われて、紫は入学してからの出来事を語った。
　津止先生は、それにいつもと変わらぬ仏頂面で、けれど真摯に耳を傾ける。
　話し終えると、津止先生は一つ頷いた。
　そんな津止先生へと、紫は相手と同じように話題を振る。
「津止先生は、新年度、どうしてらっしゃるんですか？　今年は何年生の担任を？」
「……今年度は、教頭を務めている」
「津止先生、教頭先生になられたのですか。おめでとうございます」
　言祝ぎを添えて、そのあと、紫は少し潜めた声でもう一つ尋ねた。
「そういえば……寝子島の異界との繋がりや交流について、何か新しいことはわかりましたか？」
「……進展がないわけではない」
　そう応じて、津止先生は眼差しだけで、紫に自身の席の方を見るよう促した。
　丁度、熱々のスコーンとストロベリーティーが届こうというところだ。
　津止先生へとまた軽く頭を下げて、紫はテーブルへと戻った。
　ほっこりとしたスコーンに、クロテッドクリームを乗せて早速頬張る。
（……おいしい）
　仄かに目元を和らげて、今度はストロベリーティーを喉に流す紫。すると、
（これは……）
　唐突に、脳裏へと自分がもれいびになった頃のことが蘇った。
　古本屋で手にした本。字の掠れた箇所があった。
　目を閉じてそれを指先でなぞったのは、何とはなしのことだったと思う。
　途端、そこに書かれていた内容が突然読み取れてしまって――。