【お花見】しづ心なく花の散るらむ｜リアクション

【お花見】しづ心なく花の散るらむ

　とっぷりと暮れた桜川、金の光を身に帯びて、一艘の屋形船が流れを下る。
　舳先にひとり、すっくと立つ少女の姿があった。
　その視線は桜に向けられて動かない。
　風が吹く。桜が舞い散る。
　花弁はまるで――旅鴉月詠は思うのである。
　我らの凱旋を祝福するかのようでは？　と。
　いざ行かん、道の果てまで。
　いざ行かん、その執着が如何様たろうとも。
　いざ行かん……！

「月詠さん、船首は危ないよ……」
　猫のように音もなく、月詠の隣に立った姿がある。
　

　桜月だ。
　はっと眼を惹く紅花染めの着物、差しかけた番傘は桜柄、夜目にも白い雪の肌。
「あ、危ないですか、ハイ」
　月詠はかく答えながらも、まだ夢のなかにいるような口調で、
「……聞こえた」
　ぽつりと言った。
「何が？」
「万雷の喝采が私を包むのが。もちろん幻聴ですが……目覚めの春なので仕方ないね」
「そうか」
　月はうなずく。これほど妖しくも美しい春宵なのだ、さもやありなん――そんな気がした。
　月は月詠の隣に立ったまま、しばし口を閉ざしこの光景を見やる。
　耳を打つのは、ちゃぷ、ちゃぷ、という不定期の水音だけ。
　同じ『月』をいただく名前のためだろうか、月は月詠に、自分と似た波長のようなものを感じる。魂の底に共通したものがあるとでもいうかのような。
　だから月は、自分に話しかけるように、あるいは月詠と分かち合う魂に呼びかけるように、こうつぶやいたのだった。
「花びらが舞い散る……毎年見ているけれどもやっぱり綺麗だって思うし、優しい何かを感じる。桜を題材にしたデザインを考えてみようかな。毎年そう思えるくらいには桜に惹かれるよ」
　月詠さんはどう？　と月が尋ねるよりも先に、月詠が言葉を返していた。
「わかる。それに、人々が桜に惹かれる理由はあるのだよ。長い冬の後であること、その美しさ、儚さ、奥床しさ、潔く散るその姿……日本人らしいだろう？　散り際に美しさを見出すのは」
　この感覚を感傷と切り捨てることは、月詠にはできそうもない。
「そうか、わかるけど散り際のって言われると寂しいね。私はずっと続くものがほしい」
「芸術は、人が死んだ後も続くものではないかな」
　このとき初めて、月詠が月に眼を向けた。
　月も月詠の視線を受け止めた。
　微笑しあう。またひとつ、互いが互いに、相通じるものを見つけたのだった。
「月詠さんなら、桜をどう服のデザインに活かすかな？」
「桜のデザインか。直接桜を描くのもいいが、少し趣向を変えて、桜染めはどうだろう？　桜色を出すにはこれ以上ない。手間はかかるが、いちから染料を作るのは大変だからそこは購入だろうね」
「ふふ……桜の精神を活かすということかな？」
「そうとも言えるね」
　そのとき、かたん、とふたりの背後で音がした。
　障子がひらいて、そこから艶やかな少女が顔を覗かせたのである。
「月さん、月詠さん、お茶の準備ができましたよ」