【お花見】桜の下で待ち合わせ｜リアクション

【お花見】桜の下で待ち合わせ

　蒼い空気の夜の中、桜の若木がひともと風に揺れている。
　満開の花群が震えて触れ合い、清かな音を立てる。
　白銀の月光を受け入れ、春陽のもとの薄紅とは違う色に輝く桜を一瞥し、神嶋征一郎は人気のない端の席に腰を下ろした。
「こんな時間でもやってるんだね」
　篠宮六花の言葉を受け、注文を取りに来た中年の女性店員が穏やかに微笑む。桜が満開だから、という店員の言葉は、九夜山の千年桜に音楽を捧げて来た後の彼らには至極真っ当な理由に聞こえた。
「そうだね、満開だ」
　とは言え、深夜とあってか、『ねこの庭』のお茶会の席に他の客の姿はない。
　空っぽの席に置かれて静かに光る様々なアンティークランプの光を黄昏色の瞳に映し、六花は華奢な肩から滑り落ちそうになる羽織を片手で抑えた。
「六花」
　ハーブティーとサンドイッチの注文を受けた店員がその場を離れるのを潮に、征一郎が鞄から取り出したのは、六花から譲り受けた花。
「あれ、六花持ってきてたのか？」
　征一郎がテーブルにそっと置いた、己と同じ名を持つ花を茜の瞳に映し、六花は小さく息を呑む。
「蒼色じゃない……？」
　以前、花の展覧会で案内人の女性からもらい受けたときは、六花の花は純白の色をしていた。育て主の心をその花弁に宿らせるその不思議な花は、征一郎が育てればきっと何色をも呑み込むような深い蒼に染まる――六花はそう思っていた。
　けれど、今六花の目前にある花は、淡い白銀が蒼色と柔らかに交わった色をしている。
「……湖で演奏して色が変化した」
「仄かに光ってるみたいだな」
　瑞々しい花弁に優しく触れ、六花は囁く。
「楽しさが、花にも伝わったのかもしれないな」
「不思議な所だったが」
　征一郎は蒼い炎宿したような瞳を伏せる。瞼の裏には、あの不思議な城でみた老桜がある。瞳をもたげれば、夜の植物園で静かに咲く桜の若木がある。
(楽しさ、か)
　千年の樹のもとで受けた万雷の拍手を思い出す。あれだけもがくように激しく弾いて、弦が切れなかったのは僥倖だった。
　弦が切れれば己のろっこんが発動する。数人とは言え、数分とは言え、聴衆の聴力を奪う。
(……今後の自分の課題だが)
　己のろっこんについて、けれど今日の演奏で本当の意味での前進は出来たのではないだろうか。征一郎はそう結論付ける。
「此処へ来てからそればかりなのでもう慣れたぜ」
「俺は……まだ慣れない、かな」
　白い頬をふわりと惑うように微笑ませる六花を見遣り、征一郎は眼鏡の奥の瞳を細めた。手を伸ばせば向かいの少年に触れられるほど小さなテーブルの真ん中、色を交わらせる不思議の花を見下ろす。仄かな光は、白銀の色。
「六花の音色も少し変わってたな」
　お前の花もそう告げてる、と囁く征一郎の言葉を聞いた刹那、六花の胸にあの城での音が蘇った。
　心を抉り、心を救う、征一郎のヴァイオリンの音色。
　己の心を曝け出して叩き付けても揺るがずに受け止め、互いに互いを高め合って奏であえたあれは、あの音楽は、――
「待て」
　演奏後からずっと押さえ続けてきた気持ちの高ぶりや胸が痛むほどの感動が溢れ出しそうになって、六花は征一郎に掌を向けた。言葉を途切れさせて片眉をあげる征一郎を見、六花は痛みを抑えるように、泣き出しそうに笑う。
　そうしてしまえば、気持ちはもう抑えきれなかった。
「征一郎、ありがとう」
　溢れた気持ちは感謝の言葉になった。
「お前の演奏はやっぱりすごいな」
　嬉しい笑みと、一粒の涙になった。
「……凄いのはお互い様だ」
　低く、征一郎は呟く。白い頬を伝う透明な涙に蒼い瞳をしかめ、指を伸ばす。
「泣くな馬鹿」
　六花の頬に触れ温かな涙を親指で拭えば、知らず、頬に静謐な笑みが滲んだ。

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