賽の目の憂鬱｜リアクション

賽の目の憂鬱

　この時期の浜風はまだまだ強い。
　潮風にあおられる焦げ茶色の髪を片手で押さえる恵御納夏朝はただいま絶賛散歩中であった。
　島のどこかしこも猫だらけで、一匹の猫を見つけ声を掛け、次を発見し声を掛けを繰り返している内に海まで辿り着いたのだ。何となく来てしまった。けれどそれが散歩というものか。
　少し肌寒いが天気は晴れ。
　日差しは眩しく、額に片手を添えて作った陰りの中から遠くを眺める夏朝は、視線の先で動くものを見つけた。
「猫さんだ」
　珍しいくつした柄の猫がぴょーんと跳ねている。
「可愛い靴下猫さん発見……って、
　――あーっ！？」
　ぴょーん、ぴょーんと実に楽しげに映ったものは刹那、
「網に絡まったー！？」
　猫が投網の山に豪快に突っ込んだことで悲惨なものと化した。
　何をしているのか、近づいてみようか、逃げられないか、一緒に遊んでくれるだろうか、そんな色んな考えが一瞬にして吹っ飛んで、夏朝は叫んでいた。
　十メートル程の距離を全速力で駆けつける。
「待ってて、今助けるから！」
　ヘルプと言わんばかりに狂ったように鳴く猫に、助けに来たことを知らせた夏朝は砂地に両膝立ちになって投網の山を掻き分けて、自力で脱出できない猫を網ごと引き寄せる。
「待ってね、大丈夫だよ」と励ます夏朝は、網から猫を救出するというミッションが安易に終わらないことを知る。
　捕獲用の投網は柔らかく細いナイロン製の糸でまた網目も大きい。その特徴は猫がダイブした時から遺憾なく捕らえるという威力を発揮していた。絡まるという文字の如く、藻掻けば藻掻く程縺れ合い複雑に猫を捉えて、締め上げていく。このままだと糸が食い込み猫の肌が裂けるのも時間の問題だろう。
　手応えでそれらがわかり夏朝は焦った。
　ハサミで切ってしまえばどんなに楽だろうかと、短絡な考えが頭に浮かぶも夏朝はそれをかぶりを振って振り落とす。
　何とか網を破かずに助けたい……！
「お願い、ね？　暴れないで。　……まずは落着いて」
　重りが付いた側を起点に絡まりを解いていくにも、動かない毛糸玉をほぐしていくのとは勝手が違った。生き物である猫自身がそれを妨害していてにっちもさっちも進まない。ついには鋭い爪で引っ掻かれてしまい、お手上げ状態に陥る。
　猫がパニックになるのも仕方がない。だがこのまま邪魔されるわけにもいかない。しかし言葉が通じないのも確かで「そうだ」と夏朝はポケットから『にゃおにゅーる』を取り出した。
　猫用の液状のおやつはどうしようもなく周囲を汚してしまう。自分の持ち物ではない投網を許可なくおやつ塗れにするには抵抗があった。が。この場は止むを得ないと夏朝は自分を納得させた。
「猫さん。ほら、美味しいおやつですよ」
　心の中で汚してごめんなさいと謝罪し、おやつで猫の気を逸らす。
「嬢ちゃん何やってんだ？」
「はいぃ！」
　突然の誰何（すいか）と疑う野太い声に夏朝は驚嘆に両肩が跳ね、反射的に背筋を正した。
　振り仰ぐといかにも漁師然とした初老の男性が立っていて、夏朝はその男性が投網の持ち主だろうと考え猫を示した。
「あ、あの――」
　内向的な性格なのだろう。驚かせたのも悪かった。しどろもどろながらも「ごめんなさい」から始めて状況を説明する夏朝に、すっかり餌付けをしているものと誤解していた男性は、猫に降り掛かった災難に顔を曇らせる。
「切ろうか」
「え？」
「どうせ補修前だ、構うもんでもない」
　元々破れを直す為にまとめて置いておいたのだ。一箇所二箇所破れが増えても同じだ。
　弁償しますからと願い出た夏朝に投網の持ち主は猫の一大事だものなと快諾してくれた。そのことに夏朝は深く頭を下げる。
「ありがとうございます！」
　夏朝から礼に「なんの」と男性は首を振った。
「おまえさんもいい人に助けられたな。ほれ」
　糸を切られ投網から解放された猫はササッとふたりから距離を取った。
「野良だな」
　男性が呟いた。痛い思いをしたから警戒している。
　手当もしたかったが猫が逃げるのなら追うべきではない。実際夏朝の足では追いつけないし、無理強いさせる性格でもない。
　ただ静かに見送る夏朝に、野良猫は一度だけ振り向いて、すいっと遠くへと去っていった。
「次からは、飛び込む前には足元に気を付けてねー！
　それと、お魚は、漁師さんとかに可愛くおねだりするんだよー…！」
　別れを手を振って見送り、夏朝は男性に再度お礼を重ねて、家路についた。
　数日後、にゃおにゅーるの味が忘れられないのか、散歩途中の夏朝の前に現れて可愛くおねだりをする靴下猫の姿があったがそれは別の物語だろう。

このページにイラストを設定する

賽の目の憂鬱

シナリオ

シナリオデータ

シナリオスケジュール

参加キャラクター一覧