おひとりグルメさんぽ｜リアクション

おひとりグルメさんぽ

■食のラビリンス
　上着のポケットに手を入れて、駅の改札を抜けるこの男。
　名を水守流。食の流浪人である。
「日暮里、か……寝子島とはえらい違いだな」
　右を見ても左を見ても、高い壁。
　５０メートル先すら見えやしない。まるで巨大な迷路に迷い込んだみたいだ。
「おっと、いかんいかん。風景に惑わされてちゃ、旅どころじゃあないぞ」
　流のぶらりグルメ旅。
　東京の山手線に飛び乗り、スマホゲームかなにかしながらいい加減に駅を下り、そして行き当たりの店に入ってみるという無計画な旅である。
　しかしこの、サイコロを転がす感じと状況に対応していくその過程に、どこか男心をくすぐられてしまう。
「さあ、始めるか。今日の俺は何腹なんだ？」

　時間や社会にとらわれず好きなものを好きなように食べる。
　それはゆとりを忘れた現代人にとっての最高の癒やしなのかもしれない。
　とは言うものの……。
「だめだ、歩いても歩いても迷路だ」
　ラーメンのチェーン店。カレー屋。蕎麦屋。ハンバーガーショップ。
　どこの道を曲がっても何かしら店はある。そして全ての店が自分をふんわりと誘惑するのだ。
「いかん。俺は食の迷路にはまってしまったのか！？　落ち着け、俺は腹が減っているだけなんだ。こういう時は目に頼るんじゃ無い」
　流は交差点の端に立ち止まり、腹に手を当てた。
「腹の声を聞くんだ。俺は今何が食べたい。この土地には何がある」
　深く呼吸をする。
　有名なカレーチェーン店の香りが鼻を抜けていく。
　カレー。
　いいじゃないか。
　けどチェーン店のカレーはつい最近食べたばかり。同じ弾をおざなりにとらえてしまっていいのか？
「……よし、思い切って逆側に出よう！」

　ロータリーへ戻り、駅の線路下を潜るようにして反対側へと出る。彼を出迎えたのは料理店……ではなく長い長い上り坂だった。
「腹の減った俺にはつらい坂道。だがシンプルな上り坂の先には、うまい店が待っているもの」
　こらえて歩く。
　歩き続ければ、あの香りが漂ってくるのだ。
「やはりだ。カレーの香り。それも薬草をふんだんに使った……タイカレーか？」
　香りの糸をたぐるように店へやってくれば、その店はあった。
「初めて入る店だ。タイカレーかと思ったが……薬膳カレー？」
　よし、入ってみよう。

　ザ・個人経営。
　壁にかかった日めくりカレンダーと、その周辺に張り付いたメモの群れ。
　割烹着の店主がゆるい笑顔で出迎えている。
「いらっしゃい。なんにすんの」
　当たり前のように聞かれ、流は促されるように壁にでかでかと並んだメニューを見る。
　カレー、カレー、カレー、あと酒。
「すごいぞこの店。カレーと酒が同じグレードで書かれてる」
　が、ここへ入ったからには……。

　肉。そして香り。
　流が求めたのはまさにそれである。チェーン店ならトマトとチーズの合い挽き肉カレーを頼んだ所だが、ここで出てきたのは……。
「ほう」
　ミディアムレアに焼き上げたステーキ牛肉。ちょこんとのったおろしニンニク、そして溶けるように煮込まれた豚肉と、小さめにカットされたにんじん。
　皿の三分の一をしめるように盛られたご飯にはハーブが添えられていた。
　変わったとりあわせだ。
　しかしまずは……。
「いただきます」
　スプーンですくって、口に含む。
　爽やかなカレーのルーと、ほどける肉の感触。そして鼻から抜けるハーブの香り。
　不健康なはずのカレーで健康になりそうだ。それにひたすらガツンと美味い。
「今日は当たりを引いたようだ」
　流は上着を脱ぎ、本気食いを始めた。

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