カメラを持って外に出よう｜リアクション

カメラを持って外に出よう

■青山絢のニャンスタグニャム
　過去現在、そして恐らく十年先の未来においてさえ『写真』というものがメディアの中心にあり続けるのはなぜか。
　カメラというものが人の手にありつづけるのは、なぜか。
　青山絢はこのように考える。
　カメラとは、人のもつ『第三の目』であると。

　モノクロームな記憶の中に、大きな手とコーヒーの香り。そして高い煙草の香りが焼き付いている。
　暖かな発色で印刷された部屋の写真を見るたび、そんな香りを思い出す。
　やがて大きな手が自分の頭に載せられる暖かさと、胸の奥にある奇妙な暖かさを思い出す。
　時空を超えて誰かが見た、部屋の記憶。
　写真家だった父の残した、ある視点。

　絢が写真家という職業を意識したのは一体いつからだろうか。
　父が自分の頭を撫でたその頃からだろうか。それとも生まれるずっと前からだろうか。
　しかし１６歳になった彼女に、写真家という職業はひどく非現実的な、そして過酷で遠いものとして映っていた。
　かつて誰もがパイロットやケーキ屋さんに憧れたように、彼女も写真家に憧れたことがあった……のかもしれない。
　今でもデジタルカメラを手に窓から見える景色や地面や空を撮影するのは、そんな頃の名残だろうか。
　そしてネットをぼーっと眺めるうちに誰かの撮影した道ばたの風景やネコや花を見つけるにつけ、『自分ならどう撮るだろう』と考えるのもまた、その名残なのだろうか。
　カメラを持って外に出るのも、なにもニャンスタグニャムに作ったアカウント画面に『写真を投稿しましょう！』と表示されたからとはいえ、きっと時間の問題だったろう。

　玄関を出たところを写真に撮る。
　ひどく当たり前ながら、しかしただの風景ではなかった。
　においや、音や、感触や、その時の気持ちがあった。
　たとえば自分が従姉妹と同居しはじめた頃はこのドアが新鮮だったし、同居生活がギクシャクした時はこのドアの先がどこか暗く感じたものだ。
　それすら画角に収まるという事実を、絢は実感として知っていた。

　町をふらふらと歩くと、さび付いた非常階段が目に付いた。
　日陰に残され、二階まで続く階段。しかし扉はなく、壁は塗り固められている。
　トマソンという、いわば無用化した建造物である。廃墟風景ともまた違う、時の流れと人のちょっとした気まぐれで生まれた、日常のズレ。そしてゆがみ。
　そして、そんな風景を今まで気づきもしなかった自分への驚き。
　ズレとズレ。
　絢は画角の端っこにわざとおいやるようにして、その非常階段を写してみた。

　理由を持ってカメラを持てば、歩き慣れた道すら新しい驚きを生み出してくれる。
　それは猫又川の橋から見た風景も同じだった。
　いつも見えていない場所はどうなっているのだろう。そう感じさせてくれる。
　好奇心から橋の下に入ってみれば、パステルカラーで描かれた大きな絵画が存在していた。
　落書き対策に『最初から書いてしまえ』とばかりに描かれた誰かの絵。しかし好奇心から見に来た人を意識してか、日頃目に付かないような誰かの日常風景や、隠れた誰かの努力の姿が描かれていた。
　知らなかったこと。
　その驚き。
　ズレと、ズレ。
　絢は今度はしっかりと正面におさめてから、カメラのシャッターを切った。

　気の向くまま、思ったまま、その時の気持ちや感触や目線が乗るように、あえてひねらずに撮影していく。
　それがどこか童心にかえったようで。
　かつての自分を見たようで……。

　絢のアカウントページには、初日から沢山の写真が並ぶことになった。

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