不思議な街の雑貨屋さん｜リアクション

不思議な街の雑貨屋さん

「お坊ちゃんは失礼な気がするねぇ。名前を教えてもらっていいかい？」
　着物を大きくはだけた女主人は、煙管をふかして問うた。
「新田亮」
　言葉少なく自己紹介する少年に、主人はどこか楽し気に笑う。
「帰り道を知りたいんだったね。でも、タダで教えるわけにはいかないね。駄賃として、君の想いを聞かせてほしい」
「想い」
　主人は頷くと、煙管を持っていないほうの手で指折り数えていく。
「怒り、悲しみ、喜び、楽しみ」
　指折るのをやめ、主人は亮を見る。
「なんでもいい」
「……そういうことなら」
　手招きする主人に亮は首を振った。
「このままで」
　この店全体に漂う甘い香りが亮には少しキツかった。おそらく主人のあの煙管からじゃないかと予想した亮は、それ以上近くのをやめる。
　主人は意味深に笑い、煙管を置いた。何もかもお見通しという雰囲気だった。

「俺の想い。それならボクシングを教えてくれた師匠について話そうかな」
　亮は思い出すようにして天井を眺めている。
「師匠を一言で表すと、遊び人だな。酒と女が大好きで、恋人が沢山いた。それが原因で、女性達からタコ殴りにされた事もあるみたいだった」
「ほほほ、色欲は大事な欲求の一つ、仕方ないとは言え、君の師匠は少々度が過ぎたようだねぇ」
　余談だが、女性達にタコ殴りにされた師匠はその後Ｍっ気に目覚めたらしい。とんでもないエピソードだが、女性である主人の手前、言うのを憚られたのだろう。
　亮らしい気遣いに、主人は意味深な微笑みを刻んだまま、煙管を持つような仕草をして、話を聞いている。
「そんな師匠は飲酒のやりすぎで癌になった。でもあの人、いくら反対しても酒をやめなかった。理由を聞いたら、俺は酒が大好きだからだ！　って言っていた」
　主人の目がこちらを向くのを待ってから、亮は再び語り出す。
「もちろん俺は『命を縮めてまでやる事じゃない』って反論したんだ。そしたらあの人……」
　亮はここにきて初めて笑う。嬉しそうな、楽しそうな、でもどこか物悲しい、そんな笑みで。
　彼は今どんな思いで言葉を口にしているのだろう。
「『いいか亮、人生は長けりゃ良いってもんじゃない。その限られた時間で、自分が納得できる生き方をするべきだ！』なんて言ったんだ」
「確かに、師匠の言う通りだ。私もそう思うね」
　主人は言い切った。彼女の生き方もどこか亮の師匠と通じるものがあったのかもしれない。
　危なっかしいな、と亮は思うが、口には出さなかった。
「その生き方が飲酒を続ける事なんて、全然格好付かないよな」
　亮は一息つく。自分がどう思っているのか、整理はついていた。
「でも俺はその言葉が好きだ」
　胸を張って言い切れる。亮の確かな意志。確かな想い。
　今も師匠を尊敬しているからこそ言える言葉だ。
「例え短命でも自分の意思を貫ければ、きっと師匠みたいに笑顔で死ねると思うんだ」
「笑顔で死ねる、か」
　その師匠はすでにこの世にいない。しかし亮は悲しくはなかった。もちろん亡くなったときは悲しかったが、師匠が残してくれたものそれ以上に大きかった。
「いい言葉だ。胸に刻もう」
　主人は今までの意味深な笑みとは別の爽やかで清々しいものだった。
「想いを聞く立場だったのに、想いを確認させられるとはねぇ。これだからやめられないよ」
「あ、一応言っておくけど、俺は師匠みたく酒と女に溺れるような人生は送りませんよ」
「君の振る舞いを見てれば疑わないよ。さぁ、まずは帰る道を教えてあげようか」
　帰る道を教えてもらった亮は、主人に礼を言うと言われた通りに歩いた。

　気がつけば、寝子島の見慣れた風景があった。
　あれは夢だったのだろうか、そう思う亮の制服からあの煙管の甘い香りがした。
「結局、一度も名前呼ばなかったな」
　何か意味があったのだろうか、と首をかしげる亮だった。