春色タペストリー｜リアクション

春色タペストリー

　このとき御剣刀は、小山内海が今いる場所からいくらもいかぬ林の中にいた。
　しかし刀は今、海のことを考えているわけではない。
　そればかりか、剣以外の一切から念を切り離していた。

　風がさやさやと、常緑樹の葉を揺らす。木漏れ日が差し込む。けれどいずれも、刀の精神統一になにごとかの変化をもたらすものではなかった。
　すでにこのとき刀は、一時間近く身じろぎひとつしていない。
　構えるは刃引き刀、構えは青眼。その切っ先もまた、木の葉よりも動かないのだった。
　もう一度ゆっくりと、刀は先日の闘いへと思いを巡らせる。
　あのとき、香川の潜伏先を本能的に見抜くと、刀は彼に到達することだけを念じて見事『現実』の世界へと立ち入った。そうして香川の頭上より急襲を行ったのである。

「香川、テメエの望みは叶わない……」
　刀の体には強烈な圧がかかっていた。
　重い。
　骨が軋（きし）んでいる。内臓が潰れそうだ。
　それでも刀は、ひとふりの剣になったように螺旋に挑み続ける。
「過去を経て今に至り未来を目指す俺がそれを断ち切るからな！」
　ついに剣尖が、螺旋を破り鈍い輝きを放った。
　だがそれまでだった。

　あの瞬間の敗北感を忘れられない。
　――俺の刃は間違いなく黒の螺旋を貫いた。だけど両断するには及ばず、剣は香川に届かなかった。
　奥歯を噛みしめる。
　あのとき、刀は香川を斬らんとしてこれまで歩んできた道、そこで培ってきたものを刃に乗せて振り下ろした。
　黒の螺旋が、『ろっこん』を反射する力があるのは知っていた。だがそこにあえて、正攻法で挑んだのだ。跳ね返してくる力をさらに跳ね返す……いわば自分に向かってくる自分の力に克つという方法で。
　その試みはわずかに成功したのだろう。だから剣の切っ先は、かすかとはいえ黒の螺旋を貫いたのである。
　――だが、そこまでだった。
　人外の力に対抗しうるのは人外の力ではないのだろうか。
　いわばそれは、人を超えた業ではないのか。
　そう刀は考えている。
　あのとき、刀はわずか一歩、至らなかった。だがそれこそ、明暗をわける距離だったといえよう。
　とっさに『王珠（おうじゅ）』なる魔具を取り出した香川は、ここからもたらされた力によって刀を『現実』という名の仮想世界から外へと吹き飛ばしたのだった。こうして香川と刀の二度目の対決もあえなく終わってしまった。
　刀の呼吸は死人のように閑かである。
　しかしその心では、岩をも砕く荒波が押し寄せては引いてを繰り返していた。
　刀は考える。螺旋がもたらす力に打ち勝てなかったのは、自分が未熟かったからだと。
　ならば鍛えるしかない、今よりも速く鋭く、刃を至らせられるように。
　――『想い』も『願い』も意味がなく、歩いてきた道も積み上げてきた努力も価値がなく、刃を振るって斬りたいものを斬った、その結果を以て俺の証としよう……それもきっと不要な物なんだけどな。
　念が渦を巻く。
　思考の迷路に落ちてゆく。