春色タペストリー｜リアクション

春色タペストリー

　長い階段を振り返って息を吐く。
　それまで感じていた肌寒さを、小山内海はすっかり忘れていた。むしろ額に汗が浮いているくらいだ。
　高台から見渡す。両手を腰に当てて。
　――いい眺め。
　よく晴れているだけに、寝子島の全景が一望できるではないか。
　空の青と海の青、山はあざやかな若葉色、サイコロを並べたような街並みを縫うようにして、オモチャみたいなサイズの鉄道が、カタコトと滑り抜けてゆく。
　景色と澄んだ空気をよく味わった後、海は階段に腰を下ろしていた。
　スケッチブックを開き、バッグから取り出した道具をじっくり見比べた後、おもむろに細身のカーボンチョークを選ぶ。今日はこれで描きたい気分、きっと明日はまた別の気分だろう。
　彼女は写生を始めた。
　一心に手を動かしているようで、いつの間にか海は思考に身を置いている。
　考えるのは、ふたりのこと。
　ひとりは親友、ひとりは、想い人。
　彼女のことは大好きだ。失いたくない。
　けれど彼のことだって大好きだ。奪われたく、ない。
　チョークの尖端が滑った。描いていた線路が変な方向に曲がっている。直そうと色々試してみたもののそれは、穴が開いたコンビニのレジ袋を針と糸で繕おうとするようなものでしかなく、やがて海は溜息をつき別のページを開いた。
　景色のかわりに海は、彼と彼女が背を並べている後ろ姿を想像して描くことにした。
　カーボンチョークはやめて細身のサインペンに変えた。すらすらと手が動く。見る間にふたりの輪郭が仕上がっていく。とくに御剣刀のほうは正確で、彼の硬めの髪の質感まで伝わってくるかのようだ。
　――なんだろう。もやっとする。
　異世界の現実、カッコを付けた『現実』を覗き見してペンを走らせている気分だ。
　でも、海のなかのそのもやもやは、嫉妬とか悔しさとか、そういう傷みたいな感情におとしこめるものではなくて、強いて言えば寂しさのような、満ち足りていない感じに近かった。
　下絵だけならすぐ終わった。構図としてもバランスが取れていると思う。
　けれど、なんだかちがう気がする。
　それ以上ペンを入れるのをやめて、海はまたスケッチブックをめくっていた。
　今度は自分と、刀が並んでいるところを描いてみる。
　これもすぐにやめてしまった。似ているけど、本当ではないように思えたからだ。悪くはないとはいえ……物足りない。
　海はもう一度スケッチブックをめくり、まっさらなページに今度は、三人が並んでいる姿を描いてみた。真ん中に刀、左右に自分と、親友の背中。
　――やっぱり、これかな。
　口元に笑みが浮かんだ。ペン先の走りは、これまで以上に快調だ。
　絵の中では三人ともこちらに背を向けているのに、前に回れば笑っているだろうとわかった。
　現状維持という意味なら、今描いているものがまさにそれだろう。
　でも海にだって、関係を深めたいという気持ちはあった。そう気がついたときである。
　もしかして三人でそういう関係になりたいって思っちゃってる？　私？
　そんな言葉が頭に浮かんだ。
　海に刀に腕を書き足してみる。彼の左右の腕が自分の肩と、彼女の肩に置かれる。
　そういうことされたい、って思う。彼の腕に抱かれたい。肩だけじゃなく、髪にも、唇にも触れてほしい。もっと別の場所だっていい。
　親友にも同じことを願っているだろうか。海はちょっと想像してみた。
　彼女の手が自分に触れる――。
　――あ、されたいし、したいかも。
　頬に熱を感じる。女の子同士なのに、抵抗はなかった。
　だったら三人で、なんて。
　それが一番いいかもしれない。
　なぜって海はやっぱり、刀のことも、親友のことも、大好きだから。
　さらに細いペンに持ち替え、緻密な部分も仕上げていく。今日はまず、とことんこの一枚にかかろう。仕上げよう。それから風景画ももう一度挑戦してみたい。両方ともできると思う。
　なぜって私は、と海は思った。
　結構、欲張りみたいだから。

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