みんなで楽しいひなまつり！｜リアクション

みんなで楽しいひなまつり！

　身体の調子が比較的良かった葉利沢倫理子は、外へ気分転換に出る事にした。
　今日はひなまつり。寝子島神社で催しがある事を知った倫理子は、神社へ足を向けた。

　麗らかな陽射しと体調の良さに誘われての事だったが、倫理子は少し甘かったようだ。
　屋台も沢山出る神社のひなまつりは、なかなかの混雑ぶりだ。人混みの中を歩くのはやはり慣れていないようで、倫理子は参道を幾らか歩いては、人を避けるように端で休む、という事を繰り返さざるを得なかった。
　幾度目かの休憩の時、倫理子の顔色はよっぽど悪かったのだろう、彼女に気付いた男の子が心配そうに声をかけてきた。
「……大丈夫ですか？　つらそうですけど、人を呼びましょうか？」
　それは神社のひなまつりを楽しもうと思って来ていた天之川麗仁だ。その優しい様子にありがたいと思いながらも、倫理子は懸命に顔を上げ、少し微笑むように答えた。
「大丈夫です。……ありがとう」

　その後も何度も休みを挟みながら、倫理子はようやく社殿のある境内に上がってきた。楼門をくぐると開けた境内が広がる。奥の方で咲き誇る桃の花が美しく、倫理子はふらふらと吸い寄せられるように境内の隅へ歩いて行った。
　満開の桃の花。それを仰ぐように眺めながら、倫理子は心がほうっと落ち着くのを感じていた。
（とても……綺麗）
　花の美しさが、倫理子の心を満たしていく。それは本当に可憐で、美しく、汚れが無くて……。
　途端、グッと倫理子の顔が歪んだ。
（あの花は汚れもなく咲いているのに、私は身体も魂も汚されてしまった……）
　それは、己を恥じる感情。この無垢な美しさの前に現れてきた、己を芯まで汚した残酷な記憶。
　彼女の心の奥底に沈めながらもけして消えない出来事が、フラッシュバックしそうになる。倫理子は声もなくしゃがみ込むと、ぎゅっと目を瞑り両手で己を掻き抱いた。

　そこは、神社だった。桃の木の下で消え入りそうにしゃがみ込む倫理子。周囲には誰もいなかったが、彼女の気配がほんの一瞬、完全に消えた。
　そして次に彼女が顔を上げて立ち上がった時、それまでの儚く弱々しい雰囲気は霧散していた。
　そこには、倫理子とは別人のような存在感を漂わせた女がいた。倫理子は息を呑む。私は、あそこにいたはずなのに。
　境内を見回していた倫理子そっくりの女が、倫理子に気付き、ふと視線を留める。そして倫理子の目を挑むように見つめ、にいっとその邪悪な口を開いた。

「……いやっ！」
　小さく叫び倫理子は目を開けた。
　じっとりと、額に汗を掻いていた。しゃがみながら周囲を見れば、相変わらずの楽しそうな人々、柔らかな青空、美しく咲き誇る桃の花。
（何だったのかしら……）
　倫理子は倒れないようにゆっくりと立ち上がった。最近、昼夜拘わらずこんな夢を見る事がある。自分が、自分でなくなる夢。私の体なのにそれは私ではなく、自分はただ眺めるだけなのだ。
（あの時以来だわ）
　倫理子は親指を噛むように考え込んだ。あの、冬の日。私は記憶をなくし、いつの間にか寮に帰っていた……。
　倫理子はぶるりと身震いし、自分自身を抱きしめた。あの時、時間も空間もワープするように、気付いた時には違う場所にいた。記憶はないのに、私という容れ物は確かにその瞬間を生きている。それは、それはまるで。
「まるで……私じゃない誰かが私の中にいるような……」
　倫理子は思い詰めた瞳で可憐な桃の花を見つめる。するとピュウッと突風が吹き、せっかくの桃の花がその花びらを何枚か散らした。思わず目を閉じる倫理子。その瞼の下で、倫理子……彼女のろっこん＜Malice in the real＞の中にいるMalice……が彼女に冷酷に微笑んだ。