おわりの月のはじまりに｜リアクション

おわりの月のはじまりに

　『一人カラオケ』。
　と言うと一昔前までは「一緒に行く人がいない」「一人ぼっち」「暗い」など散々なイメージがあったものだが、近頃では他人の評価を気にする事なく大声を出せるし、誰かに気遣う事なく好きな歌を唄えるので、『ヒトカラ』と略語で呼ばれるくらい一般的な娯楽になっている。
　佐藤英二は平日の夕方——学生の懐事情にも優しい時間帯に、この『ヒトカラ』にやってきていた。
　近頃はある女生徒の為に勉強に一層打ち込み始めてはいるが、英二は根を詰め過ぎては却って効率が悪いと分かっている。たまには息抜きも必要だとストレス発散にきたのだ。

　勿論、友人が居ない訳ではない。誘えばきっと誰かは来てくれただろうが、一人で来たのには訳があった。
　英二ははロボットアニメや特撮が好きなのだ。
　これらは男子とは言え、高校生になるとややおたく寄りの特殊な趣味に入ってしまうため、相手によっては気を使う必要がある。カラオケの席でもだ。
　手持ち無沙汰に履歴を閲覧している時など、特撮のテーマソングのタイトルを見つけるとついテンションが上がりそうになる英二だったが、いつもは場の雰囲気を読んで自粛していた。
　だが一人ならその必要はない。
　
　ハイトーンボイスが特徴的な有名なボーカルのテーマソングは、一般的な音域の男性が歌うには難しかったが、音を外したところで気を使わずに済む。
「やっぱり熱血系のソング歌うとテンション上がるよ」
　マイクをテーブルに置いた英二は、血が沸騰するようなアドレナリンの放出を心地よく感じつつ、次の曲を選ぼうとすぐに端末を手に取った。画面に表示されているのは、当然のように『アニメ』『特撮』の欄だ。
　最近はこの辺りのジャンルも充実しているらしく、英二が生まれてもいない頃のタイトルもあれば、公開されたばかりの劇場版最新作まで揃っている。
「いつの間にかこんなマイナーな曲もあるよ！　確かこれ１回しかかかってない挿入歌だよね？」
　思わず出た声がマイクに拾われて、誤魔化しの咳払いをしてしまうが、誰も聞いていないのだ。恥ずかしいと思うこともなかった。
　気を取り直して、人気シリーズロボットアニメの主題歌を送信する。部屋の真ん中にある大きな液晶画面に、アニメの映像が表示された。
（本編の映像付きの曲だ。やっぱり良いな！）

　気の向くまま好きなように歌うのは、すこぶる良い気分だった。
　カラオケを堪能した英二は、その後ご機嫌な様子でアルバイト先の扉を開いていた。今日は仕事はないがお客としてだ。試食の時に気に入ったあのメニューを注文してみよう。

「珈琲とキャラメルナッツのパンケーキお願いします」
「俺からの愛のメッセージ、入れてあげよーかー」
　カウンターの内側で怪しい笑みになっている先輩店員のエリセイ・ジュラヴリョフに「結構です」と苦笑していると、隣に座る伊橋陽毬と大道寺紅緒から笑いが漏れた。
「桜ちゃんがきてるよ」と陽毬はカウンターの背中側にあるテーブル席の桜を示した。
「制服買ってきた帰りなんだって」
「ああ、もうそんな時期なんだね」と、ここで桜がこちらを向いた。紅緒が質問する。
「スカートはチェックと黒とどちらに？」
「迷ったけど結局両方とも買うことにした。多少お金がかかるけどいいよねって思って」
　桜が弾む声で答えると、陽毬は二度も頷いて紅緒の方を向き「汚しちゃった時とか便利だし、それがいいよね」と更にもう一度頷いて、英二とエリセイにも順に顔を向けた。
「もうすぐ私たちも先輩になるんだね、英二君」
「うん、楽しみだな」
　英二はテーブルに置かれたばかりの珈琲を手にとって、伝わる熱に目尻を下げた。

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