おわりの月のはじまりに｜リアクション

おわりの月のはじまりに

　寝子島高校の敷地内に、チャイムの音が鳴り響く。
　同校の二年生に所属する北里雅樹は、椅子から立ち上がり、天井へ向かって軽く伸びをした。暫し、全ての学科を終えた開放感に浸りながら、自称『帰宅部部長』は次の行動について考えている。
　冬の太陽が輝く時間は短く、『猫鳴館』への道程は——彼の実家はシーサイドタウンにあるのだが、親と訳ありなのだ——すぐに視認出来ないくらい暗くなってしまうが、せっかくのアルバイト休みに寮と学校の往復は味気ない気がした。
（図書室で適当に本でも読んでから帰ろう）
　雅樹は頭のなかの自分の提案に同意するように頷くと、廊下への扉を開いた。

＊　＊　＊　＊　＊

　『２月２７日』——つい先日、椎井莉鳥の誕生日は、静かに過ぎていった。
　世間様から１７歳は特別だ。と仕切りに言われたが、その日に莉鳥が感じたのは曖昧な気分だけで、感慨はない。こんなものかと思ってしまえばそうだった。
　自分で自分が分からない。思春期の子供にはよくある悩みだが、莉鳥の内に飼うそれは、衝動と言うべき行動とセットになっている厄介なものだ。
　昨年は期末試験を放棄した。寝子島高校一年生を留年すると『選んだ』。理由はどうあれいよいよ洒落にならない。
「成績は良かったのに……」
　この一年間、周囲の人々から繰り返し、残念そうに吐かれた言葉へ、今もどう答えたものか分からないでいる。
　現に今年の期末試験は、きちんと受けるつもりだ。
　もしかしたらこれが１７歳になった結果——成長かもしれない。
　
　莉鳥の足は図書室へ向かっていた。
　目的は部活の無い放課後を過ごす暇潰しの意味合いが強かったが、試験勉強をしておこう、と少しは考えている。

＊　＊　＊　＊　＊
　
　掌にのせた本は、パラパラと頁を捲くられただけで閉じてしまった。
（『ハズレ』だ）と雅樹は短い溜息をつく。適当に選び取っただけの本だったが、なんとなく損した気分だった。それはきっとこの本だけの所為ではない、意味不明に陰鬱で、やりきれない気持ちが雅樹を苛む。感情は足に絡む枷のように重く、彼は新しい本を探そうと歩く気にもなれなかった。
　ただ黒目だけが愚鈍なくらいどろりと動いて、扉に固定される。雅樹は出口を見つめ続けていた。

　やがて開いた扉は、図書室へ光を運んできた。
　廊下の冷たい空気が一瞬身体を刺して、雅樹の瞼が抉じ開けられる。彼の瞳に映っていたのは莉鳥だった。
　目があった、と思ったのは束の間のことで、莉鳥は知った相手へ挨拶も無しに視線を外すと、離れた場所の椅子を引いた。
　雅樹は莉鳥の背中を見つめた。一つ飛ばした席に座る女生徒と比べるとはっきり違いが分かる、スレンダーな体型。あの細い身体を、愛おしく抱いたこともあった。
　が、今は腐れ縁だ。
　すっと伸びた背は机に向かって前にのめり、握っているシャープペンシルを動かし始める。反対の手で頁を捲っているのは、何の教科書だろう。
（試験勉強してるのか）
　その姿に引き寄せられるようにして、雅樹は静かに彼女の向かいの椅子に座った。こっそり近づくような静かな移動だったにも関わらず、莉鳥はその気配だけで雅樹だと理解して、勉強を続けている。

　それから雅樹は相変わらず莉鳥を見つめ続けていたが、彼女は気にも留めなかった。
　しかしその所為で、雅樹は思い立ってしまった。
（思いつく限り、これ以上にないくらいのでガン見してやろう）
　と逡巡して、行動にうつして、数分も経った。そこで漸く、雅樹の存在に気が散り出した莉鳥が顔をあげた。
　
「……何か用なの？」

　これが試練だとでも考えたのだろうか。感情の分からない表情で、震えそうな声を振り絞った莉鳥。その反応が、渾身の変顔を披露していた雅樹の望んでいたものかどうかは兎も角。
　ついに根負けして笑い声を零したのは、雅樹の方だった。