お絵かきの時間｜リアクション

お絵かきの時間

■思い出
　寝子高美術部。
　ヒーターのごうごうという音と、窓の外から聞こえる運動部の混ざり合ったかけ声。
　窓からさす光が巨大なキャンバスを照らしている。
　寝子島をはるか空から見下ろしたような風景である。
　キャンバスの前に座り、筆を小さく小さく走らせる春賀幽。
　彼を中心に、無数の道具が囲むように配置されていた。
　といっても、これも彼が所有する道具のごく一部に過ぎない。
　道具の全ては神社の境内に設けられたアトリエにごっそりと置いてあるらしいが、その全てを担いで持ってくるのはさすがに無理な話である。
　さておき。
「もうそろそろ、この絵画も完成かなあ」
　寝子島。
　彼にとっての始まりの場所。
　それを、彼なりの情緒と記憶を交えながら描き出していくのが、この作品の目的である。

　風景画と写真の違いを正しく認識している人は少ない。
　写真は写真で、風景画は風景画で別々の意味があるのだが、特に風景画はそのまま写さなくてよいという所に大きな意味がある。
　勿論、写真というものがなかった時代はそのまま写すことにも大きな価値があったし、写真も画像加工技術が進んだ今はありようをそのまま切り出すことが新たな価値になりつつあるのだが。
　絵画における事実との差異は、そのまま心の差異として用いられる。
　人の顔が怒って見えた。光がまぶしく感じた。空が広く思えた。木々が軽々と踊るように見えた。
　そんな印象が、絵画には現われる。
　彼が寝子島に描き出した巨大な風景もまた、彼が感じたこの島への感情が大きな差異となって現われることだろう。
　そしてそんな描き方を続けているうち、描き出した自分自身と向き合っていうような気分にもなってくる。
　そういえば、あの人も何かを描くときこんな気持ちだったのだろうか。
「……おねぇ」
　ぽつりと呟いた自分の言葉を、誰かが聞き返してきた。
　誤魔化すように笑って、幽はゆるく手を振った。
「独り言ですよぉ。姉はその、ガラス職人で、細工を作る前にスケッチを描くんですよぉ。それを思い出して」
　思い出して。
　呟いたのだろうか。
　描きかけの寝子島を眺める。
　絵画のずっとむこうに、幼い日の光景を幻視した。
　青龍の首飾りを手に取る。
「これもおねぇが作ったんですよぉ。おねぇの絵に、近づけたらいいなぁ」
　筆をとり、再び絵画に向かう。
「絵にも、魂が宿ることがあるんですよねぇ」

このページにイラストを設定する