霧の中に佇む花｜リアクション

霧の中に佇む花

●清流・島の川釣り●

　清流の穏やかな水の音も心地良い、猫又川の上流。
　桜の群生地の入り口から少し距離のある源流近くに、釣り糸を垂らす人影があった。
　釣り人の名は、亜魚隈猯利。
　海に囲まれた島にありながら、川釣りに拘る職人肌の少年だった。
　今日はこの源流付近の清流でのリベンジという事もあって、新しい餌と仕掛けを準備してきていた。
　透明な川面に魚の影はなく、流れに沿って移動していく。
　少し下ったところで、見覚えのある陰を見付け腰を据えて釣り糸を垂らした。
　唯一情熱を傾けるだけあって、彼の腕は確かだ。
　一分もしないうちに、獲物が掛かった。
「……小さいな」
　糸の先でぴちぴちしているヤマメを前に、思わず呟く。
　手応えで分かってはいたが、釣れた魚は大きくはなかった。
　食べられないサイズではないけれど、一匹では物足りないだろう。
　それでも、獲物が掛かった事に気を良くした猯利は更なる大物を狙おうと釣り糸を垂らした。
　と。
　ガサガサガサガサ、少し離れた茂みから次第に何かが近付いてくる音が聞こえた。
　すわ熊か？　と思った猯利が視線を集中させていると、出てきたのは葉っぱまみれの同級生・冴木竜司だった。
　尤も、科は別々だけれど。
　両膝に手を当て肩で息をしていた竜司は、きょとんとした顔で周囲を見回し、開口一番。
「……ここはどこだ？」
　遭難者か！
　猯利は心の中で突っ込んだ。
　釣りの途中でやって来た珍客に淀んだ視線を送る彼に気付き、竜司はこれまでの経緯を切々と語り出した。
「なんでもこの山には、絶世の美女の山の女神がいるらしい。
　つー訳で、あえて単独行動で山を登って来たという訳だ！」
　さっきまで疲れた様子だった竜司の目が燃えている。
「……ああ」
　猯利は半分納得したような、していないようなうろんげな顔で零した。
　というのも、ここへ来る途中で泉先生と一行には会って話を聞いていたのだ。
　釣り命の彼にとっては、たいして興味のない事だったけれど。
　竜司はお構いなしに、きりっとした表情と姿勢を作る。

「フッ……不肖、冴木竜司！　ロリコンだが美しい女性なら一目見たい！
　そしてあわよくば、胸を揉ませていただきたい！」

　言っちゃったよ。
　この人、思いっきり言っちゃったよ。
　他の人が物凄い反応を示しそうな場面でありながら、猯利はスルーした。
　釣りに集中したかったから。
　しばし、清流と遠くで聞こえる小鳥の鳴き声のみの空間で動きを止めていた両者だったが、そのうち何事もなかったかのように竜司は踵を返した。
（彼はきっと釣りで忙しかったんだ。どいひーなんて言わないよ！）
　豆腐の角が崩れるような胸の痛みは流して。
（美女がいると聞いたら、行かないのは失礼に値する！　目標はただひとつ、神聖なるおっぱいだ！！）
　陸上で鍛えた己の精神とスタミナを信じ、竜司は来たのとは別の方向へと駆け上がって行った。
　猯利は桜の群生地の奥はそっちじゃないと思ったけれど、思った時にはもう竜司の姿はなかったので黙々と釣りに従事する事にした。