【バレンタイン】冬の赤いチューリップ｜リアクション

【バレンタイン】冬の赤いチューリップ

　カップケーキなどを販売する売店小屋は、ドリンクの売店とは違い、夕食どきを越えると客足が疎らになってきている。
　今も丁度列が途切れたところだ。きつい胸元をそっと広げながら紫苑が「ふぅ」と息を吐くと、先に休憩をとったアルバイト仲間の紅緒が戻ってきた。
「お先に休憩頂きました」
「お疲れ様です」
「巫部さんも——」
「あ、休憩時間ですね。頂きます」
　紫苑は小屋の中のアルバイト仲間に丁寧に挨拶して裏へ回ると、販売員としての身分を示すエプロンとネームタグを外した。
　——ここからが楽しみにしていた時間だ。
　財布を手にした紫苑は、そのままぐるりと小屋の入り口に戻ってきた。今度は客の側からだ。
「カップケーキとクッキー、全種類下さいな♪」
「え……。っと、一つずつで、宜しいんですの？」
「はい♪」
　紅緒は戸惑いながらも、たどたどしく精算作業を終える。別のアルバイト店員が「重いですよ？」と気遣いながら袋詰めした菓子を渡してくれた。
「大丈夫です、ぺろっと食べちゃいますから」
　紫苑はにっこりと合図するように微笑んで、軽い足取りでチューリップの中を歩いていく。
（ドリンクの売店でブラウニーつきのモカチョコレートドリンク。それからお土産の売店にあるチューリップチョコレートのギフトセット——、他にも色々あったけれど、休憩時間の間にいくつ食べて回れるかしら……？）
　これから食べようと思っているメニューを思い描いていると、エプロンをつけた販売員の女性が「宜しければどうぞ」と小さな包みを差し出してきた。
　試食用とプレゼントに配っているチューリップチョコレートだ。
「有難うございます♪」
　紫苑はその場で包みを剥がして口に放り込む。甘い味が広がって、幸せな気分になった。
　こうして彼女は休み時間をのんびりと、美味しく過ごすのだった。

＊　＊　＊　＊　＊

　零さないように蓋をきっちり締めて、火傷しないようにスリーブをかけて。
「飲み口の部分から溢れる事がございますので、気をつけてお持ち下さい」と一声も添える。
　露草は作業スピードを損なわない程度に、丁寧な接客でドリンク販売を続けていた。
　今は丁度若い家族連れがきたところだ。
　小雨が降ったり止んだりの天気の今日は２月中旬らしい寒さだと言うのに、流石子供と言うべきか。
「俺オレンジジュース！」「俺も！」「ママ、私ジンジャーエールがいい」と冷たいドリンクの注文３つも入った。
「今日は寒いですから、霜焼けしないよう気をつけて下さいね」
　気の利いた言葉で手渡しすると子供たちが「あははシモヤケ！」と声を立てて笑いながら走り去っていく。両親がそれを慌てて追いかける微笑ましい光景に、露草は目を細めた。
　——どんなカップルも、家族も、友人たちも、皆幸せになって欲しいと思う。
「皆様、良いバレンタインを」
　心から素直な気持ちが、露草の唇から漏れた。

　たった数時間だが共に働いたアルバイト仲間に「お疲れ様でした」と頭を下げて、露草はこの日の業務を終了した。
　日はとっぷりと暮れている。
　本来ならまっすぐ帰宅すべき時間だったが、露草の足は自宅とは別の方向へ向かっていた。
　広場の喧騒から離れ、ひっそりと佇む朽ちた遊園地。それの入り口を見上げて、露草はその名を呟いた。
　
「寝子島イリュージョンランド……」

　別のアルバイト先で働いていた時に、この施設の噂を聞いたことがあった。
　寝子島の観光スポットとして作られたが、露草が生まれるよりも前——２０年ほど前に、不況の煽りを受けて閉鎖されてしまったと言う。廃墟スポットによくある話だ。
（でも……きっと覚えている方も、いらっしゃるでしょうね）
　頂上のイベントに際してこの場所が中途半端に放置された状態を憂いだのか、危険な廃墟に入らないようにする為の配慮か、普段はないのだろう明かりがシルエットだけ分かるくらい薄ぼんやりと外観を照らしている。
　その光景は露草の目に、物悲しげにも、幻想的にも映った。
　噂で聞いた自分と同じように、或いは思い入れのある人物が、訪れることもあるのかもしれない。
　そう思うと数々の思い出の眠るこの場所が、まるで寝子島を見守り続ける大樹のように感じられたのだ。

　興味本位に足を向けてきた観光客や警備員が巡回にくるだけのその場所で、露草は僅かな光りを頼りに、微睡みのなかにいるような寝子島イリュージョンランドの姿を写生をしていた。
（……義理チョコ代わりになるでしょうか？）

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